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大瀧詠一さん追悼 理想形は「詠み人知らず」

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大瀧詠一さん追悼 理想形は「詠み人知らず」

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 【エコノナビ】

 「君は天然色」などのヒット曲で知られ、日本ポップス界の巨星ともいわれたシンガー・ソングライターの大瀧詠一氏が昨年(2013年)末に亡くなった。

 マスコミの取材などで多くの著名人らが追悼の言葉を述べていたが、その中で心に響いた話があった。昨年(2013年)12月31日、TBSラジオに出演した音楽評論家、萩原健太氏が語ったエピソードだ。

 大瀧氏と親交が深かった萩原氏は「大瀧さんは作品が残ればいい。理想とする形は詠み人知らずだったのです」と話していた。

 大瀧氏の人生はまさにその通りだろう。1970年代に所属していたロックバンド「はっぴいえんど」の解散後はあまり表舞台に出ず、むしろ裏方として他の歌手に楽曲を提供したり、コマーシャルソングを制作したりしていた。

 ただ、言葉と音調へのこだわりだけは貫いた。コピーライターの糸井重里氏が2007年8月28日付の「ほぼ日刊イトイ新聞」で一つの裏話を披露している。

 1973年の三ツ矢サイダーのコマーシャル制作を依頼された大瀧氏は「始まりの音は母音の『あ』で始めてくれ」と作詞家の伊藤アキラ氏に注文をつけたという。そして、生まれたのが「あなたがジンとくるときは、私もジンとくるのです」との歌詞と軽快なテンポの曲だった。糸井氏はそこに「見破られない形で七五調をやる」という大瀧氏が音楽作りに課した決意を垣間見たという。

 古今和歌集の序文を書いた紀貫之は「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をもなぐさむるは、歌なり」と書いているが、七五調にこだわった大瀧氏の姿勢にも通じるものがある。

 大瀧氏がプロデュースした細川たかしの「レッツ・オンド・アゲイン」や金沢明子の「イエロー・サブマリン音頭」など歌って踊れる音頭には、そうした思いが満載だ。

 歌の力を信じて歌で大いに遊んだ大瀧氏。詠一という名の通り、詠むことに徹した人生だった。(気仙英郎/SANKEI EXPRESS

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