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【オウム法廷再び】平田被告初公判 仮谷さん拉致「認識なし」 一部否認
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オウム真理教元幹部、平田信(まこと)被告の初公判で、傍聴券を求める人々。一般傍聴席56席に対し、倍率約20倍の1155人が東京地裁に集まった=2014年1月16日午前、東京都千代田区(三尾郁恵撮影) 1995年の目黒公証役場事務長の仮谷清志さん=当時(68)=拉致事件など3事件に関わったとして逮捕監禁罪などに問われたオウム真理教元幹部の平田信(まこと)被告(48)の裁判員裁判の初公判が1月16日、東京地裁(斉藤啓昭裁判長)で開かれた。平田被告は拉致事件について「(拉致の)認識の共有はなかった」と起訴内容の一部を否認。弁護側も「現場で初めて無理やり連れて行くことを認識した」とし、幇助(ほうじょ)犯にとどまると主張した。
教団による一連の事件で初めての裁判員裁判で、判決は3月上旬にも言い渡される見通し。
平田被告は拉致事件について「見張り役はしたが、その後は知らない」と説明。「被害者と遺族にはおわび尽くせぬ苦痛を与え、申し訳ない」と謝罪した。
宗教学者の元自宅爆破事件については「指示や打ち合わせはなかった」と無罪を主張、教団総本部への火炎瓶投げ込み事件は起訴内容を認めた。
検察側は冒頭陳述で、拉致事件の指揮役である元幹部、井上嘉浩死刑囚(44)と「仮谷さんを拉致する話し合いをし、承知の上で犯行に加わった」と指摘。平田被告は井上死刑囚の乗った車の運転役で、拉致の様子を見守った後、井上死刑囚に「案外簡単に拉致できた」と報告した、と主張した。
また、爆破事件と火炎瓶投げ込み事件は「教団への強制捜査を阻止するための自作自演」で、2事件の翌日に起こった地下鉄サリン事件の「偽装工作だった」と訴えた。
冒頭陳述によると、平田被告は95年2月、元教祖の麻原彰晃死刑囚(58)=本名・松本智津夫=の指示で、脱会しようとした女性の居場所を聞き出すために兄の仮谷さんを拉致。麻酔薬を投与し教団施設に監禁したとされる。仮谷さんは翌日死亡した。
公判は週2~4回のペースを予定しており、地裁は裁判員6人と補充裁判員4人を選任。井上死刑囚ら死刑囚3人の証人尋問を行う。
≪複雑な事件に裁判員「難しい」≫
社会を震撼(しんかん)させたオウム真理教の凶行から約19年。教団の罪を裁く法廷が再び始まった。1月16日に東京地裁で開かれた元幹部、平田信(まこと)被告の初公判。検察側は、教団の教義や地下鉄サリン事件に突き進む背景なども含めた立証を試みた。一方、複数の元信者らが関わる複雑な事件に、裁判員からは「難しい」という声も漏れた。
「拉致を見守り、無線機で『オッケー』と言った」。平田被告の役割をめぐって検察、弁護側の主張が対立する目黒公証役場事務長拉致事件で、検察側は事件当時の状況を詳細に再現した。検察側が主張する動きはこうだ。
教団が事務長だった仮谷清志さんを拉致したのは、脱会しようとした妹の居場所を聞きだそうとしたためだ。
井上嘉浩死刑囚らは元教祖の麻原彰晃死刑囚の指示を受けた後、教団施設内で平田被告に拉致計画を説明。平田被告も了承した。
事件当日、幹部の一人が無線機で「ゴー」というサインで、別の信者らが仮谷さんを拉致。その様子を見守っていた平田被告は無線機で「オッケー」と連絡し、井上死刑囚に「案外簡単に拉致できた」とも報告したという。
麻酔薬で意識を失った仮谷さんを別の車へ移す際には周囲の見張り役となり、その後、犯行に使用した車両を洗車。仮谷さんの血痕を拭き取る薬品も入手したという。
「平田被告は手助けをした幇助(ほうじょ)犯にすぎない」とする弁護側に対し、検察側は「事前に決めた役割分担に従って行動している以上、被告人は犯罪を実行した正犯にあたる」と主張する。
検察側は教団内の教義についても言及。「麻原死刑囚の指示は絶対的」という「ヴァジラヤーナの教え」を背景に、犯罪が行われたと指摘した。
また、起訴対象とはなっていない地下鉄サリン事件についても「平田被告も犯行準備に関与した」と主張。検察幹部は「教団による組織犯罪であることを立証しようとした」と狙いを説明する。
検察側は現場見取り図や相関図など資料を配布するなど「分かりやすい説明」を心がけたが、男性裁判員からは「すぐに理解しろというのは難しい」との声も漏れた。検察幹部は「確かに情報量が多い上に人もたくさん出てくるが、2カ月の審理で確認資料として使ってほしい」としている。(SANKEI EXPRESS)