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神仏に対し恥ずかしくない行いを 鈴木日宣

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神仏に対し恥ずかしくない行いを 鈴木日宣

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日蓮宗系の尼僧、鈴木日宣(すずき・にっせん)さん=2013年11月28日、千葉県内(瀧誠四郎撮影)  【尼さんの徒然説法】

 晴れた朝、お堂の障子をそっと開けてお日さまの光を招き入れます。外は冷たい風が吹いていますが、すうっと堂内に広がる暖かな光りはまさに「初春」。穏やかなぬくもりに感謝しつつ、年の初めに皆さまの一年のご無事をお祈りしております。

 人が見ていなくても

 新たな年を迎え、初詣に行き「今年は良い年になりますように」と祈ってこられた方も多いと思います。ことに人は自分の身に降りかかった悩み事や困ったことがあると目に見えぬ神仏に手を合わせては「何とかなりますように。うまくいきますように」と必死に願いをかけます。しかし悩み事や困り事の原因は、その人の前世の業因(ごういん)や今生(こんじょう)での言動の結果によるもの。ただ手を合わせ「祈ればなんとかしてくれよう」では神仏もおみこしをあげてはくださいません。すべてその人のこれからの「生きざま」によります。悪を止めて善を積み、正しい道を歩む努力をする人と、人が見てさえいなければ、法律に違反していなければ、倫理道徳を無視していなければ何をしてもいい、自分さえよければいいと生きていく人との間には雲泥の差が生じます。人としてどちらの生き方が良いかは言うまでもありません。

 私の子供のころは「誰も見ていなくても神様や仏様が見ていらっしゃる。だから人が見ていないからといって陰で悪いことをしてはいけない」と、どの家庭でも教えておりました。幼いうちに厳しく教えられるからこそ、そうした考えがしっかりと根付くものです。明治天皇の御製(ぎょせい=詠まれた和歌)に「目に見えぬ神にむかひて恥ざるは人の心のまことなりけり」という有名な歌があります。神仏に見られても恥じない行いをすることが人としての正しい心の在り方だと、明治天皇は仰せなのです。

 来世を信じて善業を積む

 また、日蓮聖人の遺されたお手紙の中に「人の身には同生同名という2人の使いがあり、人が生まれたときから天がつけた神である。影が身に従うように少しの間も離れることなく、大罪小罪、大善小善、少しももらさず代わる代わる天に昇って申し上げると仏は説かれている」とあります。

 人はこの世に生まれると同時に両肩に2人の神様がつき、右肩にはその人のすべての善い行いを伝える「同名天(どうみょうてん)」、左肩にはその人のすべての悪い行いを伝える「同生天(どうしょうてん)」、この2神を合わせて「倶生神(くしょうじん)」と申します。倶生神はその人が死ぬと天に戻りますが、生まれたときから死ぬまでの間、天に伝えられたその人の善悪の言動や考え方はすべて次に生まれるときの判断材料となります。私たちは輪廻転生(りんねてんしょう)を繰り返し、生を受け死ぬまでの間に行動、言葉、心でさまざまな善悪の業(ごう=行い)を積みます。それを仏教では「身・口・意の三業」と申します。人に迷惑をかける行動をしたり(身業)、嘘をついたり人を傷つける言葉を吐いたり(口業)、心に憎しみや怒りを抱くとき(意業)、その人は三業で悪を積んでしまうのです。また正しい行いをし、嘘や偽りのない言葉を使い、人を思いやる慈しみの心を抱くとき、その人は三業で善を積むのです。

 人として倫理道徳から外れた言動を恥じ、正しい人生観を持ちましょう。そして来世の存在を信じ、善業を積んで同名天が活発になる一年にしていただきたいと心より願っております。

 ≪来世の幸せのため、今生を正しく生きる≫

 「生あるものは必ず死す」とは世の常であり、誰も免れることはできない自然の哲理です。しかし仏教では「肉体はいずれ滅んでしまうものだが魂は永遠に存続する」と説かれています。魂が永遠なるがゆえに、輪廻転生といって車輪がぐるぐる回り続けるように生死を繰り返しているのです。

 この輪廻転生(りんねてんしょう)のお話を致しますと「じゃあ今度はお金持ちの家に生まれてきたい」とか「人がうらやむような美女、美男子がいい」などといわれますが、残念ながら自分の思う通りに生まれてくることはできません。私たちは「業生」といって自分の行った善悪の行い(業因)により次に生まれる境遇(業果)が決まってしまうからです。因果経に「現在の自分を見れば前世の原因も来世の結果もわかる」と説かれています。今生(現在の境遇)も未来(輪廻して次に生まれてくる境遇)も自分自身が作り出すものなのです。

 来世の幸せを願うならば仏様の仰せのごとく善業を積むことです。そして父母、自分を取り巻く多くの人々、国や超自然などへ感謝の心をもって過ごすことです。それは魂にしっかりと刻み込まれ、来世へと持ち越すことができます。容姿は新しくなりますが魂はリセットされず今生の続きとなるからです。来世の幸せのために今生を正しく生きる努力を致しましょう。(尼僧 鈴木日宣/SANKEI EXPRESS

 ■すずき・にっせん 1961(昭和36)年6月、東京都板橋区生まれ。音楽が好きで中学では吹奏楽部に入りクラリネットを担当。高校生の時、豊島区吹奏楽団に入団。音楽仲間とともに青春時代を過ごす。7年間社会人を経験したあと内田日正氏を師として26歳で出家。日蓮宗系の尼僧となる。現在は千葉県にある寺院に在住し、人間界と自然界の間に身をおきながら修行中。

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