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ケネディ駐日米大使 注目の中「父の残した公務」スタート

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ケネディ駐日米大使 注目の中「父の残した公務」スタート

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ケネディ家の家系図=2013年7月25日現在、※一部略、敬称略。写真はAP、UP  キャロライン・ケネディ駐日米大使(55)が11月19日午後、皇居でオバマ米大統領からの信任状を天皇陛下に手渡す「信任状捧呈(ほうてい)式」を終え、大使としての活動をスタートさせた。

 ファッションも注目されるケネディ大使は、チャコールグレーのタイトなワンピースに2連のパールのネックレスというシックな衣装。宮内庁差し回しの馬車に乗り込み、皇居前広場を経由する約1キロのコースを皇居へ向かった。沿道にはカメラや携帯電話でその姿をとらえようとする人たちがたくさん集まり、大使は時折窓越しに手を振って笑顔で応えていた。

 宮内庁によると大使の信任状捧呈式は年間30~40件とあるという。これほど注目され、大使を歓迎するために大勢の人々が沿道に集まったことなどかつてなかったのではないだろうか。

 ケネディ大使は今月(11月)15日に、日本に到着。「父の残した公務に尽くすという使命を推し進め、日米両国の緊密な関係の強化に取り組めることは特に名誉なことだ」とあいさつした。

 また、来日に先だってワシントンの駐米日本大使公邸で開かれた歓迎行事では、なんと「道祖神(どうそじん)の招きにあひて、取るもの手につかず」という松尾芭蕉の「奥の細道」の序文の一節を引用してあいさつ。旅に出たくてたまらなかった芭蕉に自らの姿を重ね、早く日本に赴任したい心境を語った。「月日は百代の過客…」を知る日本人は多いが、「道祖神…」となると知る人は少ないだろう。日本文化に造詣が深いとはいえ、素晴らしい博識ぶりで、日本人の心をしっかりつかんだのではないだろうか。

 ケネディ大使の親日家ぶりは今に始まったことではない。20歳だった1978年、今は亡き叔父、エドワード・ケネディ上院議員とともに広島を初訪問。大使は当時を振り返り「深く心を揺さぶられた。日本ほど私が奉仕できる国はない」と語っている。大使の日本への思い入れはそのころから強かった。新婚旅行も京都、奈良を回った。

 ≪「スウィート・キャロライン」に懸け橋期待≫

 アメリカを代表するシンガーソングライター、ニール・ダイアモンドの1969年のヒット曲に「スウィート・キャロライン」という曲がある。少女時代のケネディ大使の愛らしい姿に感動して作られたラブソングだ。

 素敵なキャロライン

 素晴らしい時は、決して気づかないというけれど

 僕の心は傾き始めている

 ケネディ元大統領にゆかりのボストンを本拠地とする大リーグ・レッドソックスのフェンウェイパークでは、八回裏の攻撃前になるとこの名曲「スウィート・キャロライン」が今も流れる。ケネディ家の根強い人気ぶりを示すエピソードだ。日本赴任前に、ワールドシリーズで上原浩治投手が日本人初の胴上げ投手となったのはなにかの因縁だろうか。

 ケネディ元大統領の長女という知名度から、米政界に幅広い人脈を持つケネディ大使。オバマ大統領とは家族ぐるみの交流もあるだけに、日本政府関係者は「ホワイトハウスとの距離が近づく」と歓迎ムード一色だ。

 きょう(11月)22日は奇しくも父、ケネディ元大統領が凶弾に倒れてからちょうど50年目にあたる。親日家だった父の遺志を次いで日米の懸け橋となることが期待される。(EX編集部/撮影:ロイター、AP、ゲッティ=共同/SANKEI EXPRESS

 ■Caroline Kennedy 1957年11月27日生まれ。ハーバード大を卒業後、コロンビア大法科大学院で学び弁護士資格を取得した。今年7月までは、ケネディ記念図書館館長、ハーバード大学ケネディ行政大学院顧問などを歴任。詩集や美術評論などの著作も多い。夫のエドウィン・シュロスバーグ氏(68)はデザイナーとして活躍する。

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