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「熱い」日々 今に呼び起こすJFK 没後50年 米で衰えぬ人気

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「熱い」日々 今に呼び起こすJFK 没後50年 米で衰えぬ人気

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米首都ワシントン近郊のアーリントン墓地にあるジョン・F・ケネディ元大統領(1917~63年)の墓所には、多くの市民や報道陣が詰めかけている=11月16日(青木伸行撮影)  ジョン・F・ケネディ元米大統領(1917~63年)がテキサス州ダラスで暗殺されてから11月22日で50年を迎える。世界に衝撃を与えた惨劇は、米国の歴史と人々の心に深く刻まれ、彼の「遺産」は希望や喪失感の想起、事件の謎の解明といった形で残されている。半世紀を経ても衰えないケネディ人気の背景には、与野党対立で常態化した現在の「決められない政治」への不信が強まる中、米国の国力が絶頂期にあった当時への郷愁もありそうだ。

 ケネディ氏が眠るバージニア州のアーリントン墓地。墓石の脇には「永遠の火」が揺れる。日頃から観光客が絶えない墓所には、50年の節目とあり、より多くの人々が訪れている。

 シカゴに住む女性(64)は「遺体が埋葬されたすぐ後に、ここに来て以来です。当時14歳。だいぶ年を取りましたが、ケネディは今でも心に生き続けています」と話した。

 首都でシンポ盛ん

 ダラスでは22日、ケネディ氏が撃たれた午後0時30分に教会の鐘が鳴り、現場のディーレイ・プラザではケネディ氏の演説が読み上げられる。「ダラスはこの悲劇の文脈においてのみ理解されている」とは、マイク・ローリングス市長。なお負のイメージを引きずっている。

 ワシントンではシンポジウムが盛んだ。(11月)4日にはボブ・シーファー氏ら著名ジャーナリストが当時を回想した。シーファー氏は当時、テキサス州フォートワースの地方紙記者だった。

 「社の電話はどれも鳴り響き、受話器を取ると『息子が逮捕されたと、ラジオで聞いたのですが…』と女性の声。(実行犯とされる)リー・オズワルド(容疑者)の母親だった」

 車で母親のもとへ急行し、警察へ送る車中でインタビューした。「あのスクープは忘れられない」

 報道博物館の「ニュージアム」では(11月)1日、事件を題材にした映画「JFK」のオリバー・ストーン監督が登場し、「暗殺には政治的影響力をもつ者が絡んでいる」と陰謀説を展開した。

 その「ニュージアム」には当時のニュース映像が流れ、事件発生から4分後に送られたUPI通信の第一報などが展示されている。19歳の女子学生は「ケネディのことはよく知らず、勉強しに来ました。東西冷戦の中で苦しみながらも、希望に満ちた時代だったのでは」と話した。

 「あのとき何歳で、どこにいた」という書き込みコーナーもある。来館者は「当時10代。家族が凍りついていたのを鮮明に覚えている」などと綴(つづ)っていた。

 新著出版ラッシュ

 ケネディ氏に関する新著も出版ラッシュだ。この3カ月間だけで90冊以上を数え。内容も事件の謎や、人生と大統領時代の足跡を追ったものなどさまざまだ。

 「ケネディ半世紀」もその一つ。著者であるバージニア州立大学のラリー・サバト教授は「ケネディは50年間にわたり国民や、今のオバマ大統領に至る歴代大統領に影響を与えた」と書く。「事件の謎をめぐっては、あと1世紀は議論されるだろう」とも。

 映画では、非常事態下の現場の混乱などを描いた「パークランド」が、65万ドル以上の興行収入をあげている(11月7日現在)。テレビも、オズワルド容疑者に焦点を当てたテレビ映画「ケネディ殺害」(ナショナル・ジオグラフィック・チャンネル)や、特集番組をこぞって放映している。

 ケネディ氏が住んでいた家が点在するワシントンのジョージタウンや、生家などがあるボストン周辺では、ゆかりの地を訪ねるツアーが盛況だ。

 ジョージタウンの一角には、ケネディ氏がジャクリーン夫人にプロポーズしたレストランもある。店員は「プロポーズしたテーブルで食事をしたい、と予約が殺到しています」と話した。(ワシントン 青木伸行/SANKEI EXPRESS

 ■ケネディ大統領暗殺事件 1963年11月22日、ジョン・F・ケネディ米大統領=当時(46)=がテキサス州ダラス市内をオープンカーでパレード中に狙撃され、死亡した。警察は元海兵隊員のリー・オズワルド=当時(24)=を容疑者として逮捕したが、2日後、警察署内でナイトクラブ経営の男に射殺された。

 米政府は当時のウォーレン最高裁長官を長とする事件の調査委員会(ウォーレン委員会)を設置。64年9月、「オズワルドの単独犯行」と断定する報告書を発表したが、政府機関や外国勢力などが関与したのではないかとの陰謀説が現在もくすぶる。

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