ニュースカテゴリ:暮らし健康
元プロレスラー・小橋建太さん、腎臓摘出からリング復帰まで語る
更新
■
分厚く鍛え上げられた肉体で妥協のない闘いを見せてきた元プロレスラー、小橋建太さん。所属団体のエースとして活躍していた8年前、腎臓がんが見つかり、腎臓を1つ摘出した。「復帰は無理」という常識を覆し、見事リングにカムバック。病に打ち勝った雄姿に多くのファンが熱い声援を送った。(文・竹岡伸晃)
平成18年6月、年に1度の健康診断を受けたときのことです。「腎臓に腫瘍のようなものが見える。再検査してほしい」と言われました。自宅近くの病院で再検査を受け、結果を聞きに行ったところ、医師は非常に説明しづらそうにしている。「がんなんですか」と尋ねると、「そうです」という返事。右の腎臓に4、5センチの腫瘍があったのです。
約2週間前にタッグチャンピオンになり、今後の防衛戦について思いを巡らせていた矢先のことです。びっくりするのと同時に、「もうプロレスができなくなるのかな」と思いました。家に帰るタクシーの中で、自分が試合をやっている姿、チャンピオンベルトを巻いている姿が走馬灯のように頭の中をぐるぐると回っていました。「チャンピオンベルトをたくさん巻いた。多くのファンから声援をもらった。素晴らしいプロレス人生だったじゃないか」
3週間後に大切な試合が控えており、「試合後に手術を受けたい」と訴えましたが、医師の答えは「衝撃でがん細胞が体中に散らばる危険がある。賛成できない」。横浜市立大付属病院を紹介してもらい、7月に右腎臓の全摘出手術を受けることになりました。
「絶対にプロレスに復帰したい」と考え、腹部に小さな穴を開ける腹腔鏡(ふくくうきょう)手術という方法を選びました。ただ、腎臓を1つ摘出すると、残った腎臓に大きな負担がかかります。手術前夜、担当医師に「小橋さんが生きるために手術をするんです。プロレスに復帰するとは言わないでください」と諭され、「まず生きることを目指そう」と気持ちを切り替えました。
手術は成功し、転移もありませんでした。退院したのですが、ひどい倦怠(けんたい)感に襲われ、何もする気がしない。腎臓への負担を避けるため、「あまり動かないように」とも言われていました。「これからどうなっていくんだろう…」。暗い気持ちで一日中、ぼんやりとソファに座っていました。
「道場に行ってみよう」と思い立ったのは退院から約1カ月後のことです。その少し前にリハビリで水中歩行も始めていました。リングの上で大の字になり、「やっぱり俺の帰ってくる場所はここだ」。道場の蒸し暑さが心地よかったですね。
前向きになったものの、復帰にはいくつものハードルがありました。その一つが食事。筋肉を増やすにはタンパク質の摂取が不可欠なのですが、腎臓に負担がかかる。低タンパク高脂肪の食事から始め、少しずつタンパク質を多くしていきました。
翌年1月にひざの古傷をクリーニング手術し、医師の許可を得て、復帰へ向けたトレーニングを再開しました。検査の数値をにらみながら腎臓に負担の少ない方法を模索する。前例のない挑戦でしたが、「もう一度、ファンの待つリングへ」という思いを支えに体をつくり、実戦練習を重ねました。
19年12月2日、日本武道館での復帰戦。花道の向こうにリングが見えると、いつもと変わらぬ「よし、いくぞ」という気持ちに。27分7秒の闘いに特別な感慨はありませんでしたね。試合後、「プロレスラーとして生き続けます」と宣言しました。翌日の検査結果も良好で、その後も試合を続けることができましたが、昨年5月に引退。首やひじ、ひざなどのけがで、「小橋建太のプロレスができない」と考えたためです。
がんになり、命の大切さを知りました。絶望を知り、支えてくれる人のありがたさも知りました。度重なるけがに落ち込み、苦悩したこともあります。こうした経験を伝えながら、これからは支える活動を続けていきたいですね。
こばし・けんた 昭和42年、京都府生まれ。高校卒業後、会社員を経て、62年に全日本プロレス入団。平成12年、プロレスリング・ノアの旗揚げに参画し、GHCヘビー級王座を13度防衛。25年5月11日、引退。今年6月8日、プロレス興行「フォーチュンドリーム1」(東京・後楽園ホール)を企画、収益の一部を小児がん患者団体に寄付する。