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「こんなはずじゃなかった」三洋社員の恨み節 消える社名、ブランド、人…

ニュースカテゴリ:企業の電機

「こんなはずじゃなかった」三洋社員の恨み節 消える社名、ブランド、人…

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決算発表後、報道陣からパナソニックによる買収について質問されるが、答えを避ける当時の三洋電機の佐野精一郎社長(左)=平成20年11月5日、大阪市北区  三洋電機の全社員が4月1日付で親会社のパナソニックに転籍することになった。製品のアフターサービスなどのため、三洋の登記上の法人格は当面存続するが、パナソニックが平成21年、経営不振に陥っていた三洋を買収して以降、両社の一体化が実質的に完了する。リーマンショック後の金融危機と景気低迷を前に三洋の佐野精一郎社長(当時、現パナソニック常任監査役)は「最優先は事業と雇用」と自立再建を断念したが、主要事業はすでに本体に吸収、もしくは売却され、とうとう社員もいなくなる。(松岡達郎)

 重要なお知らせ

 「発表の一週間前、旧S(三洋)に重要なお知らせがあると説明会の案内があったんです」

 三洋からパナソニックに出向しているベテラン社員は、こう打ち明ける。

 その社員は仕事の都合で説明会に出席できなかったが、11月28日に三洋の全社員7千人をパナソニックに転籍し、給与体系と評価制度を一本化すると発表されたと聞き、「これだったのか」と思ったという。

 パナソニックは三洋を買収した後、23年には完全子会社化した。三洋と同時期に完全子会社となった旧パナソニック電工はパナソニックと給与体系が似ていたため、24年1月に吸収合併を完了。

 一方、給与水準が低い三洋を転籍させると人件費が膨らむため、パナソニックで働く場合も出向扱いにとどめ、「三洋が救済される形で買収されたとはいえ、同じ職場、仕事で給与に差がでるのは説明がつかないのでは」(関係者)との声があった。

 今回、転籍するのはパナソニックに出向している約6600人と、三洋に残っていた約400人。子会社化前に三洋の国内外の社員は約10万人いたが、白物家電など主要事業の相次ぐ売却に伴うリストラで約7千人にまで減少していた。

 三洋からの出向社員は給与水準が上がると期待されるが、実はそうでもないという。

 パナソニックは来年4月に年功序列ではなく、役職に応じて給与が決まる賃金体制を導入する。三洋からの社員は来年2月ごろにパナソニックの人事評価制度に基づく職務上の等級を通知され、合意により転籍することになる。

 関係者は「将来性のある若手は給与水準が上がることはあるが、それ以外には厳しい等級が通知されるのではないか」と指摘する。

 誤算の末

 大手総合家電の一角だった三洋がライバル意識を持ち続けていたパナソニックの傘下に入ることを決断したのは深刻な経営危機に陥っていたからだ。

 三洋は創業者、井植歳男氏の長男、敏氏が社長、会長として進めた多角化が失敗。平成16年の新潟県中越地震で半導体工場が被害を受け、17年3月期連結決算で赤字に転落した。

 「資本増強しなければつぶれていた」(関係者)といわれるほど追い込まれていた18年3月には、三洋が主力取引銀行である三井住友銀行や米ゴールドマン・サックス(GS)など金融3社を引受先とした計3千億円の優先株を発行。3社の優先株は普通株に換算すると発行済み株式の約7割(議決権ベース)にあたったため、経営の主導権は握られた。

 さらに創業家出身の社長らを巻き込んだガバナンス(企業統治)の混乱に苦しんだが、19年4月に佐野氏が社長に就任。以降、携帯電話事業など不採算事業の売却を進める一方で、太陽電池や充電池を強化した結果、20年3月期連結決算では最終損益を4年ぶりに黒字に転換。監査法人が企業の存続可能性に疑義があるときにつける「注記」も2年半ぶりに消え、再建に薄日がみえていた。

 自立再建にこだわって策定した新中期経営計画の達成に注力していたが、20年9月のリーマンショック後に情勢が一変。米国発の金融危機が金融3社から三洋が再建を果たすまで待つ時間的な余裕を奪い、GSなどは利益を見込めるうちに三洋株を手放したい意向を強めた。

 三洋株の売却先として韓国・サムスン電子も候補に浮上したとされるが、「技術力のある三洋を外資に渡せば国益を損ねる」(関係者)と実現しなかったといわれ、結局はパナソニックが受け皿として決まった。

 最後まで自立再建にこだわり、三洋の業績回復から金融3社の支援は続くと考えていた佐野氏にはリーマンショックは誤算だったとみられ、パナソニック傘下に入る理由について聞いた記者にこう声を荒げたことがある。

 「しかたがないじゃないか。FRB(米連邦準備制度理事会)議長でさえ読めなかったリーマンショックを、わたしが分かるわけない」

 社員がいなくなる

 「パナソニックの物心両面の支援が具体化されたことで世界競争に勝ち残るアドバンテージを得た」

 パナソニックと三洋が資本・業務提携を締結した際の記者会見で佐野氏は、こう力を込めた。

 この時点ではパナソニックは三洋の上場維持の方針を認めており、当面は社名やブランドを残し、社員の雇用維持にも配慮するとみられていた。三洋労組の関係者も「金融機関に株を握られ続けて先の見通しが立たずに不安が続くより、収益や利益のためにがんばるのは前向きだ」と、業績次第で三洋のブランドも残る可能性があると期待が持たれていた。

 ただ、希望は長く続かなかった。三洋は強みだったリチウムイオンなどの充電池が円高に加え、中国や韓国勢の台頭で事業採算が悪化していった。パナソニックは買収に8千億円を投じたにもかかわらず、三洋の企業価値低下に伴う損失だけで5千億円にのぼったといわれる。自然とグループ内で三洋をみる目は厳しくなり、社名やブランドを守るどころではなくなり、事業売却や人員削減が加速した。

 そして来年4月で三洋の社員はいなくなる。

 それでも、かつて2次電池やカーナビ、洗濯機、デジカメ、コメを使う家庭用パン焼き器などヒット商品を世に送り出した三洋の事業や技術の多くは、パナソニックや売却先で存在感を示している。グループを去った元三洋社員も多くがすでに事業の売却先や再就職先で活躍しているのがせめてもの救いかもしれない。

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