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失敗に学ぶトヨタ75年の歴史 ヒットにつながる情熱のものづくり

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失敗に学ぶトヨタ75年の歴史 ヒットにつながる情熱のものづくり

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4代目クラウン。「クジラ」の愛称も付いたが、先進的なデザインから販売は伸び悩んだ=愛知県長久手市(内山智彦撮影)  11月に創立75年を迎えたトヨタ自動車。クルマづくりの歴史をたどると、一大ブームを巻き起こした名車の陰には不発に泣いたクルマも少なくない。今年は2年ぶりに販売台数で世界首位を確実にしつつあるトヨタも、決して“常勝”集団ではなく失敗を糧に成長してきたことが分かる。

 大衆車 初代は不発

 愛知県長久手市。トヨタの創立50周年記念事業の一環として建設された自動車博物館「トヨタ博物館」では今、特別企画展「TOYOTA75」(会期は来年4月14日まで)が開催されており、75年を彩った名車や失敗作など約50台が展示されている。

 トヨタといえば、「カローラ」。国内新車販売台数で昭和44年から平成13年まで33年連続1位、累計生産台数は4千万台弱、世界で最も広範囲に販売されているクルマとしてギネスブックの認定を受けるなど、輝かしい歴史をもつクルマだ。この名車が生まれたきっかけは、昭和36年に発売された「パブリカ」の失敗にあった。

 高度経済成長という“熱気”を背景に、トヨタ初の大衆車として送り出されたのがパブリカ。価格は38万9千円で、ヒーターやラジオはなく内外装も質素。マイカーを所有したいという要望に応えようと、低価格と実用性に重点を置いた。

 しかし、その思いとは裏腹に販売は今ひとつ。後にカローラプロジェクトに参画したトヨタOBの諸星和夫氏は「みんなが買えるクルマを目指したが、消費者はラグジュアリー感を求めていた」と話す。初めて買うクルマに夢を求めた大衆のニーズと、トヨタの考えが合わなかったのだ。

 「ヒーターを付けると価格が高くなってしまう。車の性能はよかった。でも売れなきゃね」。豊田章一郎名誉会長(87)はこう振り返った。

 パブリカの反省をもとに新しい大衆車の開発をスタート。性能、価格などあらゆる面で「80点主義+α」を掲げ、41年に生まれたのがカローラである。加速性能、リッターあたりの馬力で当時の最高水準となったエンジン、高速走行時にも高い安定性を保つ足回り部品など、独自開発の国内初技術を満載。値段以上の高級感を出し、販売首位への地歩を築いた。

 クラウンも試行錯誤

 高級車「クラウン」はトヨタの出発点といえるクルマであり、昭和30年の初代発売以来、国産車では最長の歴史を誇る。これまで高級車市場でトップを走り続けたが、実はつまずきもあったという。

 46年発売の4代目クラウンは、ボディ一体型のバンパーやヘッドライト上部に横長に方向指示器を付けるなど特徴的な外見から「クジラ」の愛称も付いたほどだ。トヨタには、クラウンに浸透している「固い」イメージを刷新しようという狙いもあった。

 だが、斬新過ぎるデザインは保守的なユーザー層から支持を得られず。初代クラウン以来、20年近く守り続けてきたクラス首位から陥落した。

 「先進性、強すぎる個性が敬遠された。高級感、安定性、保守性がクラウンのよさと思われていた」とトヨタ博物館の担当者は指摘する。4代目の“失敗”を受け、5代目はかつての保守的なデザインに戻したほか、その後も小さな反省は続いた。昭和54年の6代目について、章一郎氏は「格好はいいけど、エンジンがオーバーヒートすることもあった」と振り返る。

 9回失敗しても…

 「日本人の頭と腕で、日本に自動車工業をつくるのだ」。トヨタ設立にあたり創業者、豊田喜一郎は宣言した。戦後、トヨタの情熱は国内のライバル企業が欧州メーカーとの提携で活路を求めたことに対し、自主開発にこだわった点にうかがえる。

 失敗を失敗で終わらせない-。これも、ものづくりへの情熱からだろう。カローラに大衆車の役割をバトンタッチしたパブリカ。その後「パブリカスターレット」「スターレット」へと進化を遂げ、そして世界的にヒットした小型車「ヴィッツ」に変身した。

 12月末には14代目クラウンが登場する。今回は、保守性を打ち破る大胆なクルマを目指すという。

 喜一郎の長男でもある章一郎氏はいう。「1回の成功には、9回は失敗しなくちゃ。僕は失敗の連続だからね」。(内山智彦)

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