インド最大の中華街、コルカタが存続危機 人口流出、再開発も進まず

 

 インド東部コルカタで数百年の歴史がある同国最大の中華街が、存続の危機に立たされている。中国にルーツを持つ華人らが1962年の中印国境紛争の余波で欧米に流出し、人口は10分の1以下に激減した。中国語学校や華人系の工場は閉鎖され、中国語紙の部数は減少の一途をたどる。再開発計画もあるが、街はスラム化しており再建は難航している。

 「市場の客はインド人だけ。中国は豊かになったが、この中華街は終わりだ」

 コルカタ中心部ティレッタの中華街。川魚や野菜を売る市場で、王偉忠さんがつぶやいた。黒ずんだビルの隙間の雑踏では、華人らが一皿30ルピー(約45円)のギョーザや春巻きなどを売っていた。

 約110年前に建設された寺院兼社交場「四邑会館」には孫文とガンジーの肖像画が掲げられていた。広東省出身の元大工、何元達さんは「英語が話せて事業に成功した人は皆、外国に移った」。華人は貧しくベンガル語か中国語しか話せない人が少なくない。

 英領インドの首都コルカタは18世紀以降、広東系の華人らが移住。やがて2つの中華街がつくられ、靴製造や船舶関連、理髪店など、3万~7万人とされるコミュニティーを築いて栄えた。

 だが、62年の中印国境紛争で両国関係が悪化。華人への迫害や嫌がらせが始まり、数千人が西部ラジャスタン州の施設に送られたり、職を失ったりした。高学歴で財力のある華人はカナダや英国などに移住。人脈も資金もない華人だけが残った。

 工場や商店はインド人に売却され、約80年の歴史があった学校「培梅中学」も2010年、生徒不足で閉校。現在の華人は3000人前後という。中華料理店もインド人向けの辛い味付けに変化、漢字の看板だけが往時の繁栄をしのばせる。

 熱帯の雨の下、古い建物で日刊紙「中印商報」が編集されていた。ネットで入手した中国語ニュースを1部4ページ、約200部を印刷し、月70ルピーで配る。中華街の冠婚葬祭も報じる。「若い華人はもう中国語が読めず部数は減るだけだ」と、編集する張国才さん。

 地元コルカタ当局とシンガポールの団体などは14年、約10億ルピーかけて中華街を再開発し、食の街として観光客を集める「チャ(茶)プロジェクト」を提唱した。だが、華人団体の印華文化発展協会の鐘河芳会長は、2年が経過しても「当局も含め誰も資金を出さず、事業開始は無理だ」と指摘した。(コルカタ 共同)