迫真の演技…推理サスペンスを演じているのか? 怪しさ全開の「中国型民主主義」

 
ASEM首脳会議に臨む中国の李克強首相(中央)=7月15日、ウランバートル(共同)

【野口裕之の軍事情勢】

 「事態をエスカレートさせないよう強く求めていくとともに、毅然と冷静に対応している」 

 「現在の状況に冷静に対応し、緊張を高める行動を取らないよう強烈に希望する」

 尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺の領海/接続水域に、記録的数の中国海警局公船や百隻単位の“中国漁船”が、特に8月に入り侵入を活発化させたが、侵入を受けて「政府」が発したコメントだ。ただし、前者は菅義偉官房長官、後者は中国外務省報道官の声明。被害者=被侵入者と加害者=侵入者の声明が同じとは。被害者を装う加害者を登場させる「推理サスペンス」のような展開には、驚くほかない。

 驚くといえば、毎回、作ったようなおっかない顔で話す中国外務省報道官の迫真の演技。「並の神経」の持ち主なら吹き出してしまうところだが、剣山でも握っているのか、はたまた官僚登用試験で演技力も試されるのか…。

 ところが、演技力が乏しい外交官もいる。

 南シナ海のほぼ全域を自国管轄海域などとする中国が唱えてきた複数のムリ筋主張に、国際的な仲裁裁判所(オランダ・ハーグ)は7月、全て一蹴する裁定を下した。中国外務次官は直後、「裁定を紙クズと認識して棚上げし、交渉のテーブルに着くことを希望する」と述べたが、およそ外交官とは思えぬ暴言。もっとも、演技力には欠けるものの、中国の品性をさらに下げるのに役立った次官の暴言は、国際法を無視する中国の正体を素直に表現しており、実に「中華風」でわかりやすい。

 虚言癖ある為政者を見事に演じきった中国首相

 この点、裁定をめぐる中国の李克強首相の演技力は“風格”さえ漂わせ、冒頭紹介した外務省報道官を、はるかに上回る。先月も国際舞台で、虚言癖ある為政者を見事に演じきっていた。舞台はモンゴルの首都ウランバートルで開かれたアジア欧州会議(ASEM)。名優・李克強は訴えた。

 「中国は国際秩序と国際法の守護者であり、地域の平和安定の推進者だ」

 「国際法の曲解と二重基準に反対する。地域で合意された規則を順守すべきだ」

 ス、スゴ過ぎる…。商業・工業の世界での「盗作」だけが中国のお家芸ではなく、外交・安全保障分野での「倒錯」もすさまじい。演劇の世界では、倒錯した人物の演技は最も難しいとされる。参加国の代表は一瞬、別の国か国際機関の中国批判だと勘違いして、深くうなずいてしまったことだろう。

 ペンにイス…。中国の閣僚が駆使する小道具

 卓越した演技には「小道具」が必要不可欠。ペンがもたらす演出なども効果的だ。カナダ訪問中(6月)だった中国の王毅外相は中加外相による共同会見の席上、地元メディアの女性記者が、中国内の苛烈な人権問題をただすと…

 「あなたの質問は中国に対する偏見に満ちており『傲慢』だ。まったく受け入れられない」

 「中国の人権状況を最もよく理解しているのは中国人だ。あなたは中国に来たことがあるのか」

 女性記者に向かい、憤怒の姿勢を強烈に演出すべくペンを横に振りながら、怒鳴りつけるかのように説教を続けること2分以上。どちらが『傲慢』かは明らかだ。しかも、女性記者の質問はカナダ外相に向けられたものだった。王外相は横から口を挟んで、あろうことかカナダ外相の「代弁」をしたのである。

 イスの使い方にも観察が必要だ。ヤクザ映画を観ていると、大物の組幹部はふん反り返って、「子分」や「敵対する組幹部」をにらみ付けている。

 5月にラオスの首都ビエンチャンで開かれたASEAN(東南アジア諸国連合)国防相会議では、中国の南シナ海侵出を念頭に、国際法を順守する行動規範(COC)の早期策定を目指す方針を含む共同宣言を発出した。ASEAN各国の国防相は共同宣言に署名後、ラオスを訪問した中国国防相と非公式会議に臨んだ。前述した仲裁裁判所の裁定前だった。

 ヤクザ映画さながら…中国国防相、貫禄の威圧感

 「仲裁裁判所の裁定には従わない」と、従来の主張を繰り返した中国国防相。深々とイスに腰掛けた「貫禄」「威圧感」は際立っていた。中国国防相の刺すような視線は、中国の巨額援助に依存するカンボジア&ラオスの国防相や、仲裁裁判所に訴えた“元凶”のフィリピン国防相に向けられていたと、小欄は確信している。「子分」と「敵対する組幹部」をにらみつける、映画で観る極道の視線そのものだったためだ。

 大舞台で名演を披露するには、凶悪な連続殺人犯が刑法学の世界的権威に「法体系が欠陥だらけ。命の尊さを学習し、法改正に活かしなさい」と言い掛かりを付けるがごとき、「神経」構造を備えねばならぬ。余りの図太さは「無神経」と表現すべきかもしれない。

 例えば、米大統領選挙への批判報道。中国共産党機関紙・人民日報系の環球時報(社説)は、内部告発サイトで発覚した、米民主党全国委員会幹部が前国務長官のヒラリー・クリントン候補に肩入れしていたとの疑惑を採り上げた。が、外国人読者が恥ずかしくなるほど大胆なる説教をたれた。

 《米国型民主主義の実情がすでに民主の原則よりかい離していることを示している。政治的操作に満ちた選挙が公平と言えるか》

 「???」。中国共産党による一党独裁の《政治的操作に満ち》あふれ、《民主主義》も《公平な選挙》も存在せず、従って《民主の原則よりかい離》しようもない中国が、米国に説教できる立場か。

 怪しさ全開の「中国型民主主義」

 そもそも、《米国型民主主義》などと断るあたりが怪しさ全開。中国の政治学者は時に《協商民主》なる用語を使う。使用する際、いちいち長々と説明を加えるのは素性の悪さの証だ。人民日報のニュースサイト人民網に掲載された中国社会科学院政治学所の所長殿いわく――

 《民主政治は欧米型の『選挙民主』と中国型の『協商民主』に大別できる。中国は後者を選んだ》

 《選挙を民主主義の中心に据える『選挙民主』は形式上、各参加者の平等性を認めてはいるが、競争の結果には勝ち負けがあり、『勝者が全てを得る』現象が往々にして出現する》

 《選挙民主に比べ協商民主は、非対立的な政治協議を通じて利益構造と社会秩序を築く。共通利益の最大化を実現し、溝や対立を最小にまで減らすことが目的で、ウィンウィンが目標。利益対立が引き起こす競争・対立・排斥の減少効果が主たる特徴だ》

 《民意を広くすくい取り》《社会末端の矛盾を緩和、調和と安定の促進に非常に積極的・効果的な役割を果たしている》とさえ、自信タップリに言い切っている。

 要するに、「選挙をしなければならぬ選挙民主は非効率で排他的悪政の誘因となる」。対する協商民主は、「選挙ではなく話し合いをもって、資源配分などにつき迅速な意思決定や絶妙な割り当てを可能にする。欧米型の選挙民主を押しつけるな!」と言いたいのだろう。しかし、小欄の中国観は完全に逆だ。

 《協商民主は、対立的な派閥政治を通じて汚職構造や公安秩序を築く。一部権力者の利益の最大化を実現し、溝や対立を隠ぺいすることが目的で、一部権力者のみのウィンが目標。利益対立が引き起こす競争・対立・排斥の増加効果が主たる特徴だ》

 《民意を押さえ込み》《社会末端の矛盾を隠ぺい、一党独裁安定の促進に非常に積極的・効果的な役割を果たしている》

 歴史に刻んだ「殺りく劇」と「一大悲劇」

 中国に“民主主義”があるのなら憲法もある? これがある。日本国憲法に失望する国民にはぜひ、中国の“憲法”に触れてほしい。わが国憲法が、少しはまともに見えるはず。

 何と、第二章では《言論・出版の自由》を記載する。中国共産党の一党独裁下、言論弾圧が日常の情景である現実とのかい離は笑止だが、同じ二章に《生存権》が記されていると知れば笑えない。中国共産党にとり死守すべきは生存権で、その守護神が中国共産党。「命を保障してやるのだから、自由権ごときは我慢せい」という理屈なのだ。実際、天安門事件(1989年)では、自由権を行使した無辜の民が生存権を奪われ虐殺された。

 中国共産党や人民解放軍が歴史に刻んだ「殺りく劇」であり、「一大悲劇」である。