食について何も知らない自分に愕然 スローフードを学んだ脇田まやさん

 
畑のトマト(c)脇田まや

 この5月、脇田まやさんはイタリアの食科学大学マスターコースを修了した。スローフード運動の拠点であるピエモンテ州ブラ市にある大学だ。学部で約300人、大学院でおよそ100人の学校規模である。

 「スローフード運動の一番の功績は何かといえば、希望と自信を失っていた、世界中の農家や生産者の精神的な支えになったことです」と脇田さんは語る。

 運動は1980年代後半にはじまった。イタリアに進出してきたマクドナルドに代表されるファーストフードに反旗を翻した社会運動だ。(1)生物多様性の維持 (2)地産地消 (3)食経験の社会的共有…という核となる3つの方針があるが、もとを辿ると政治的な匂いがかなり強い。大企業の言いなりになってはいけない、というメッセージもかなり時代がかっている。

 「高校を卒業してそのまま大学に来たような世代の子たちは、スローフードの古臭いところや極端なところには反発心があるんですよ。意図的に社会的弱者を想定して、その人たちを助けるって、ちょっと違うんじゃないかって」(脇田さん)

 人は農業に関わり、「自分たちの生存の根もとには何があるか?」という問いを発する。生物としての人間、社会的な存在としての人間、この両方の視点から問いかける。大きく言えば、それらに対する回答を求め、世界各地の農家や食に関わる家業の子供たちが多く、ブラの大学に学びにくる。

 その人たちが社会的な弱者と定義づけられるのに違和感をもつのも当然だが、一方で彼らは自分の故郷や家業に対して自信をもたせてくれたスローフード運動に感謝している、という点を脇田さんは指摘している。スローフードは都会の人たちのライフスタイルを変えただけではない。

 それでは脇田さん自身は、なぜこの大学に来たのだろう。

 バリバリの都会っ子の脇田さんは、東京の大学を卒業してから都内の出版社に勤めた。経済誌の記者として国内外を飛び回る取材活動をしていた。そこに2011年3月に東北の大震災があった。

 それまで商社を担当していた脇田さんも、多くの同僚と共に東北への取材に駆り出されるようになる。農業や漁業にかかわる人たちとの会話は、人生初体験である。

 世間から「東北の食材は安全なのか?」と問い詰められ、生産者たちからは「私たちの作ったものを、なぜ信頼してもらえないのか?」と訴えかけられる。そのはざまに立ち、食について何も知らない自分に愕然とする。

 震災からちょうど1年を経た頃、社会人になって6年目、総合的に食を勉強してみたいとの意欲が芽生え、世界中の大学を調べてみた。そうして見つけたのが、ブラの大学だった。スローフード運動に関心があったわけではない。米国への留学経験があったが、欧州は初めての土地だった。経済誌の記者としては、南米やアジアのビジネスに興味があったので、イタリアの存在など頭の中になかった。

 食科学大学で農家のことを知り、自分でも畑で作物を育てるようになる。スローフード協会という団体は欧州委員会へのロービー活動に熱心である、ということも知る。原産地呼称が法律的により厳しくなったのは、スローフードの活動が影響している、という。

 ぼくは、前々から知りたいことを聞いてみた。

 スローフードの活動をしている人たちは、ソーシャルデザインという言葉を使っていないようだけど、どうして?と。十分に社会のあり方を変えていると思うのだけど。

 脇田さんは、こう答えてくれた。

 「確かにソーシャルデザインとは言ってませんね。だいたいスローフードには体系化された理論が、まだ確立されていないんですよ」

 つまり運動がデザインされていなかった。運動は推進することに意味がある。その当事者は、どこかの他人の理論を使うわけでも、世の中に流布したカテゴリー名を冠して戦略を考えるわけでもない。逆にそういうカテゴリーに属していることを殊更に謳う活動には嘘がある。スローフード協会がソーシャルデザインの範疇であると言わないのは、この理由かもしれない。

 また、スローフードがライフスタイルや商品開発に影響を与えたのは確かだが、それを自分たちの手柄として喧伝しない。イタリアでみれば、クラフトビールの隆盛もその一つのはずだが、「我々がブームの仕掛けの一端をつくった」とも語らない。

 「我々の活動はまだまだ不十分だ」と自らの尻を叩く。若い人たちが求める新しいスタイルのスローフードにも寛容な様子が窺える。これからの変化こそが、面白いかもしれない。きっと体系化は、第三者か次の世代の仕事であると考えているのだろう。

 さて、脇田さんのこれからだが、未定だ。今はバンカ・デル・ヴィーノ(ワイン銀行)という、スローフードの精神に賛同するワイナリーの協同組合で働きながら、今後の進路を探っている。食をメインとするのではなく、広い視野で食を一つのエレメントとしてみていく仕事が、彼女には相応しいのではないかとぼくは思っている。

(安西洋之)

【プロフィル】安西洋之(あんざい ひろゆき)

上智大学文学部仏文科卒業。日本の自動車メーカーに勤務後、独立。ミラノ在住。ビジネスプランナーとしてデザインから文化論まで全方位で活動。現在、ローカリゼーションマップのビジネス化を図っている。著書に『世界の伸びる中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』『ヨーロッパの目 日本の目 文化のリアリティを読み解く』 共著に『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか? 世界で売れる商品の異文化対応力』。ローカリゼーションマップのサイト(β版)フェイスブックのページ ブログ「さまざまなデザイン」 Twitterは@anzaih

ローカリゼーションマップとは?
異文化市場を短期間で理解するためのアプローチ。ビジネス企画を前進させるための異文化の分かり方だが、異文化の対象は海外市場に限らず国内市場も含まれる。