古来、桜の花は、その美しさとはかなさで、多くの日本人をひきつけてきた。日本人には四季の花々を愛でる風流心がむかしから備わっているが、中でも春の桜は、その開花と散りぎわが出会いと別れの季節に重なることもあって、格別の想いを持って眺められる花だろう。「サクラサク」。「サクラチル」。この一言を聞くだけで、メッセージを発した人に何があったか理解できる国民性は、世界でも珍しいのではないだろうか。
桜の花の官能的ともいえる美しさは、ときに人を狂わせるというが、それはほんとうだと思う。小学生のころ、東京・世田谷の豪徳寺という場所に住んでいた。春、駅の近くに咲いた満開の桜に魅せられた。そして、「桜は一年に一回しか咲かないんだ。僕は死ぬまでに、あと何回、桜の花を見られるのだろう?」と考えた。
年端もいかない小学生にそんなことを思わせるのだから、桜にはやっぱり不思議な力がある。
さて、私がいままでに見た桜のうち、皆さんにもぜひ、一生に一回は見ていただきたい桜がある。京都・平安神宮の神苑の、例年、4月の第2金曜、土曜、日曜にしか一般公開されない紅しだれ桜だ。とくに夜がおすすめである。人によって印象はさまざまだろうが、私は初めて見たとき、死と退廃と性を感じ、底深い感動にとらわれた。