質疑応答では、鋭い質問が相次ぎ大変でした。「パラリンピックの今後をどうしたらいいか」「資金面や環境面をどう改善していくべきか」「五輪とパラリンピックの一体感を生み出していくには何が必要か」。一人のアスリートが答えを出す域を超えた難しいテーマだと改めて実感しました。
私は2年前に早大大学院でパラリンピックやスポーツビジネスについて学びました。修了後も海外の遠征先などで課題について考えながら競技をしてきました。これまでに培った知識と自らの考えをなんとか言葉にして、必死に答えました。メディアの皆さんが本気でパラリンピックに向き合ってくれようとしているんだと心強く感じる会見でもありました。
私が日本の女子選手として初めて義足の陸上競技でパラリンピックに出場したのが2004年のアテネ大会。当時に比べ、強化と普及の現場では、若い代表選手から幼い子供たちまで、義足の選手は着実に増えています。私のサポートをしてくれている義肢装具士の臼井二美男さんが開く毎月の練習会には、50人以上の義足選手やその家族が集まります。この輪を広げていくためにも、メディアの情報発信の力は欠かせません。