「ビートルズ世代ですから、若い頃は父の曲を演奏しようとは思わなかった。『古い』というイメージがあったんでしょうね」
古関正裕さん(67)は昨年1月、父で作曲家の古関裕而さんの楽曲を演奏する音楽ユニット「喜多三(きたさん)」を結成した。今年は裕而さんが亡くなって25年。音楽仲間から「ぜひ、やるべきよ」と背中を押され、決心した。
昨年1年間で高齢者施設など7カ所でライブ演奏を行った。「涙を流して喜んでくれるお年寄りもいて、改めて楽曲の力を感じた」
気品あふれる旋律で戦前、戦中、戦後に活躍した裕而さんの曲は何千曲にも及ぶ。ただ、正裕さんが父の曲をじっくり聴くようになったのは大人になってから。昭和63年の福島市古関裕而記念館開館に向け、資料集めに奔走したのがきっかけだった。
裕而さんは福島市の呉服店「喜多三」の長男として生まれ、独学で作曲を学んだ。作曲家、山田耕筰の推薦で日本コロムビアに入社し、東京に移住。職業作曲家として、流行歌や応援歌、戦時歌謡などのヒット曲を連発。戦時中は戦地を訪れ、慰問活動も続けていた。