旅の間、洋之助さんはいろいろな話をしてくれた。だが、「当時、私は16歳で、ちゃんと話を聞いていなかった。右から左に抜けていました」。だが、一つだけ心に残ったメッセージがある。「手に職をつける」ということだ。「女でも仕事がなくちゃ」と年中言われていた。仕事でお金を稼げば、やりたいこともできるし、選択肢が増える。
名取さんはドイツでデザインを学んだ後、日本とヨーロッパを往復しつつ、通訳やコーディネーターの仕事に携わった。私生活では2度の離婚を経験し、一人娘の美穂さんを育てた。洋之助さんが亡くなったのとほぼ同じ53歳でバーンロムサイの代表に。1カ所に長くいるタイプではないのに、15年以上がたった。
父の教えは、バーンロムサイに受け継がれている。「仕事でお金を稼ぐのは生きるうえでベーシックなこと。どうせ働くならやりたくないことより、好きなことの方が楽しい」。寄付に頼らない運営を目指し、ものづくりに力を入れる。
名取さんは「父は、もうちょっと厳しくしてくれたら良かったのにって思います。私の人生、揺らぎ過ぎましたもの」と笑う。だが、人生を楽しみながら生きている実感はある。それは、洋之助さんがくれた自由から生まれたものだ。(油原聡子)