「江戸時代の旧暦は、大小の月が今のように2、4、6、9、11月と決まってなかったので、月末に集金する商家にとっては、今月が大の月か小の月かが重要でした。だから大小暦という絵暦(カレンダー)を家に貼っていて、ここから浮世絵が発達したと言われています。また、この頃は曜日の概念がありませんでしたから週の概念も無かったのです」と江戸文化に詳しい鈴木さん。
明治時代以前は時間も今のように「5分の遅刻も許さない」ということはなかった。だいたい「一刻を争う」の一刻とは30分のことだった。
また「昼の時間」と「夜の時間」に意味があった。当然ながら明かりがあるかないかに生活が大きく左右されたからだ。菜種油を買えるようになって「夜なべ」が可能になり、そこで夕食が発達した。それまで一日の食事は2回が主流だったのだ。
時間という当たり前の物差しも、このような経過を経て現代のライフスタイルがある。
アングロサクソンが「時間は金である」いう考えを浸透させたが、米英の間でも時刻の捉え方は違う。鈴木さんによれば、「米国で午後4時を16時と即言えない人も多い」。AMとPMが頭に染みついているから計算に手間取る。だからデジタル機器や航空会社のサイトも基本AM/PM表示だ。一方、英国を含む欧州では24時間表示が普通だ。
「中国でも24時間表示には慣れています。ただ、あの広大な国土にして時差がないというのは域内に時差がある米国や欧州と大きな差を生みますね」と鈴木さんは指摘する。
日本でサマータイム採用に抵抗が強いのは、時差が「社会」として身についていないのも一因と考えられないだろうか。