社会・その他

銀行のロゴはなぜ紙の地図から消えたのか 地図の平成30年、その舞台裏 (2/5ページ)

 新しい地図を作製するたびに、編集者は電話をして、基図を入手しなければいけません。こうした地道な作業を繰り返していたのですが、昭和から平成になるころに、当社ではデータベースを構築しました。現在でもそのデータベースは活用していて、新しい道路ができればそこに情報を追加して、新しい鉄道の路線ができればそこに情報を追加して。そのような作業をしながら、地図をつくれるようになったので、ものすごく効率がよくなったんですよね。

 土肥: ふむふむ。

 竹内: 昭和から平成にかけて、街の風景はどのように変わったのか。東京の場合、「新宿が大きく変わったのでは?」「いや、渋谷では?」と思われたかもしれませんが、2つの街は以前からたくさんの商業施設があるので、地図を見てもそれほど大きな変化はうかがえないんですよね。以前からゴチャとしていて、いまもゴチャとしている感じで。

 土肥: 確かに、30年ほど前の地図といまの地図を見比べても、それほど大きな違いはないですね。

 竹内: では、どの街が大きく変わったのか。お台場なんですよね。ご存じの通り、このエリアは埋め立て地でして、30年ほど前は殺風景な雰囲気が漂っていました。工場や倉庫などが並んでいて、一般の人は足を運ぶようなところではなかったですよね。

 土肥: 他のエリアを見ると、幹線道路やランドマークになるような建物には色がついていますが、当時のお台場は開発が進んでいなかったので、地図にほとんど色がついていなかったわけですね。

 竹内: はい。

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 土肥: お台場などベイエリアが大きく変化したわけですが、地図を作製する人たちはどのように対応していたのでしょうか?

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