社会・その他

銀行のロゴはなぜ紙の地図から消えたのか 地図の平成30年、その舞台裏 (1/5ページ)

 とうとう「平成」の時代が終わった。この30年を振り返ると、どんなことがあったのか。就職氷河期があったり、携帯電話が普及したり、働き方に変化がでてきたり。月9ドラマ『ロングバケーション』(フジテレビ)を見るために急いで家に帰った人もいれば、「ビリーザブートキャンプ」に入隊したものの、5分ももたずに息切れした人もいるだろう。

 そんな中で、記者はあるモノに注目している。「紙の地図」だ。いまの時代、スマートフォンで調べればすぐに分かるので、「紙の地図なんてオワコンでしょ」と思われたかもしれない。確かに、街中で紙の地図を見て目的地を探している人は見かけなくなったし、クルマの中もカーナビがあれば不要かもしれない。

 しかし、である。平成の途中で、紙の地図は大きく変化してきたのだ。昭和と平成に出版された地図を見比べると、その違いは一目瞭然である。たくさんの色を使うようになっているし、紙の質もよくなっている。少しでも見えやすくするために、どのような工夫を凝らしてきたのか。

 道路地図『スーパーマップル』などを手掛けている昭文社の竹内渉さんに、地図の舞台裏を聞いた。聞き手は、ITmedia ビジネスオンラインの土肥義則。

 「お台場」が大きく変わった

 土肥: 平成の30年を振り返ると、街の風景が大きく変わりました。平成の大合併があって、チェーン店が増えて、金融機関が次々に合併して。このほかにもアクアラインが開業したり、六本木ヒルズができたり、東京スカイツリーが誕生したり。さまざまな変化がありましたが、こうした動きに対して地図も大きく影響を受けたのではないでしょうか?

 竹内: 昭和の時代、地図をどのようにして作製していたのか。主要都市は道路などを詳しく表示する必要があったので、1万分の1などの縮尺でつくっていました。地図を作製するためには、その基となる「基図」が必要になるわけですが、どこで手に入れることができるのか。各自治体の担当者に連絡しなければいけなかったんですよね。

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