トラクターの歴史を抜きに人類史は語れない 農業とは別、世界が求めた「裏の顔」 (5/8ページ)

 ソ連--転用は公然の事実

 ソ連もトラクターの戦時利用に積極的であった。

 1933年6月1日、第一次5ヵ年計画の一環として、南ウラル地方のチェリャビンスクに建設された「チェリャビンスク・トラクター工場」は、ソ連の重要なトラクター生産の拠点であった。同年中に、初の履帯トラクター「スターリニェツ60型」を生産した。スターリニェツとは「スターリン主義者」という意味である。独裁者の名前がトラクターに付けられたのは、世界史上でこれが最初であるが、ただ、スターリニェツ60型は、アメリカのキャタピラー60型のコピーであった。生産量は旺盛で、1940年3月までに10万台のトラクターを生産した。さらに、スターリニェツ65型がそれに置き換わっていく。四気筒のディーゼルエンジンを搭載した重さ10トンの巨大なトラクターである。

 チェリャビンスク・トラクター工場は、他方で、戦車生産の拠点でもあった。しばしば「タンコグラード Tankograd」、すなわち「戦車都市」と呼ばれていたことからもわかるように、戦争中に約1万8000台の戦車を生産している。1941年にはKV-1、翌年にはT-34など、赤軍を代表する戦車もここで作られていた。

 1939年のソ連映画『トラクター運転手たち』は、独ソ不可侵条約前のまだ独ソ戦の予感が漂うウクライナ農村のコルホーズが舞台である。男女のトラクター運転手たちを主人公にしたミュージカル・コメディー映画だ。監督は、戦後『白痴』(1958)、『カラマーゾフの兄弟』(1969)などのドストエフスキー作品の映画化で有名なイワン・サンドロヴィッチ・プリイェフ(1901~68)である。ここで興味深いのは、まず、トラクター運転手がトラクターに乗りながら、途中から手を離し、後ろ向きになって朗々と歌う場面である。危険と言わざるを得ない運転だが、本人は気にすることはない。

もはやトラクターの歌ではなく…