トラクターの歴史を抜きに人類史は語れない 農業とは別、世界が求めた「裏の顔」 (4/8ページ)

 キャタピラー社の軍需産業化--日本人の視線

 日本でもトラクターの軍事的有用性は自明であった。鐘紡ヂーゼル工業会社取締役車両部長の渡邊隆之助は、1943年に『牽引車(トラクター)』というトラクターの概説書を執筆しているが、そのなかの「大東亜建設と牽引車の意義」という箇所でつぎのように書いている。

 「国防自動車科学面にクローズアップされたトラクターは、大東亜の資源開発、輸送力向上等によって平時増強作用が行なわれる」。「農地開発、増産目的上東亜的なトラクター農法は急速に実現する可能性がある」。「米、英、ソは勿論、独、伊、仏等、自動車工業力下にトラクター工業の組織を有しないものはない」

 つまり、平時の農業用トラクターとは軍事利用を前提に開発すべきであり、それは、ちょうどドイツの企業がトラクター開発の名の下に戦車を秘密裏に製造していたように、自動車工業の発達している国では常識になっていると述べたのである。

 さらに、渡邊はつぎのようにも述べている。「牽引車は無論第一線兵器ではないとは云え、准第一線兵器であろう。/キャタピラー会社は、大東亜戦争勃発前半年位迄他の自動車会社に倣わず、兵器車両の政策を拒んでいたが、遂いに服従して政策を初めたと云う記事が、戦前に届いた雑誌に載っていたが、聊か緊張感を覚えさせるものがある」(前掲書)。

 「キャタピラー会社」とは、いうまでもなく、あのメジャーリーガーのボブ・フェラーが好んだ、履帯トラクターの老舗キャタピラー社のことにほかならない。

 1942年12月8日の真珠湾奇襲に始まる「大東亜戦争」のもと、トラクター企業がこぞって戦車開発に乗り出すことは、自動車産業もトラクター産業も十分に発達していない日本にとって「緊張感」を覚えるものであったことは想像に難くない。

ソ連もトラクターの戦時利用に積極的だった