「具体的には2012年12月下旬より、論文原稿の書き直しの協力を開始し、約2カ月半後の3月に、小保方さんがユニットリーダーになりましたが、直後の3月10日に、ネイチャーに投稿しました。そのときまで書き上げの支援の協力を続けました。その間、若山さんは、山梨大への移転のため、忙殺されていました。そこで、若山さんの分も含めて積極的に協力しました。また投稿前の2月前後には、STAP現象の試験管内の評価に関する実験技術の指導も行いました。さらに論文の改訂作業、リバイスといいますが、2013年4月上旬から小保方ユニットリーダーを中心に行われましたが、追加実験や技術指導も参加しました」
「著者としての参加の説明も追加させていただきます。私は論文投稿までの約2年間の過程の中で、最後の2カ月強の段階で参加しました。これは調査委報告にあるように、論文の最終段階で加わった形。私はセンター長の依頼で執筆のアドバイザーとして協力をしていたつもりでしたので、当初は著者には加わらずに、協力指導のみにしていた。しかし、途中よりバカンティ教授より、強い要請を受け、著者に加わることになりました。バカンティ教授はラストオーサーであり責任著者でもあります。また、レター論文については投稿時には責任著者ではなく一共著者として加わりましたが、2013年9月の改訂論文の投稿直前に、若山さんから『責任著者に加わってほしい』という強い依頼を受け、3人目の責任著者として加わることにしました」
《役割に関する説明が終わり、笹井氏はなぜ論文の不正を見抜けなかったのかについての説明を始めた》