「その内容は価格に伴っているか」 “日本一”のラーメン店「蔦」だからこそできた値下げ (5/8ページ)

 二年熟成生揚げ醤油を中央に鎮座させ数種類の醤油をブレンドしたタレも、スープの素材を際立たせる役割を全うする。スープの一滴が唇に接触するや否や、味覚はもちろん、魂すら丼の世界に引き込まれてしまいそうになるほど味わい深い1杯は、大西店主のラーメンに対する価値観を余すところなく映し出している。

 料理人の存在意義は、ゼロからレシピを生み出すこと

 食べている間、この「醤油Soba」に少しでも似た味のラーメンが存在するかどうかを、海馬と大脳皮質をフル回転させて思い起こそうとしたが、過去の「蔦」の「醤油Soba」を含め、結局、該当するものはひとつも思い浮かばなかった。

 「現在のラーメンシーンは飽和状態に達していて、面白みがなくなってきているのではないか」と大西店主は警鐘を鳴らす。

 「分かりやすい例が、ラーメンのスープに用いる鶏の銘柄です。あるブランド鶏から良い出汁が採れるという情報が出回れば、多くの店が即座にその情報に飛びつき、鶏の争奪戦になる。思考停止ですよね。そんなラーメンが、食べ手の心を動かせるはずがないと思うんです」

 確かに、最近のラーメンシーンを分析すると、各店舗で提供されるラーメンの平均水準こそ底上げされているが、初めて訪れる店のラーメンであっても、どこか別の店で食べたことがある味だなといった既視感を覚える場面が増えたような気がする。

 少しでもレベルの高いラーメンを作りたいという気持ちは理解できなくもないが、そもそも、料理人の存在意義は、白地のキャンバスに絵を描くこと、全くのゼロからレシピを生み出すことにあるのではないかと大西氏は言う。確かにその通りだと思う。

 食べる側にとっても、作り手の考え方が見えないラーメンは、いくら味が良かったとしても面白くないものだ。そんなラーメンばかりになり、世間の関心がラーメンから離れていく事態だけは避けてほしいものである。

日本食の出汁文化を海外に拡めたい