運転席には遠藤さんのほか、JR東日本の運転士が指導員として同乗。万一のトラブルに備えた。もう一人、JR東日本の会津若松駅の運輸区長も乗り込んできた。実は石油列車の初便には、多くの関係者が乗りたがっていた。あっけにとられる遠藤さんをよそに、運輸区長は「マニアだからさ、俺は。まあ、役得ってやつ?」とおどけた。当然、緊急時の連絡などのミッションを担っているのだが、その雰囲気で、遠藤さんの緊張は少しほぐれた。
「出発進行!」
午前4時過ぎ、遠藤さんの号令とともにDD51にタンク貨車の重さが伝わっていく。10両のタンク貨車は全部で600トン。重連のDD51の定量は700トンで、100トンの余裕があるはずだが、遠藤さんは「重い…」と感じた。通常の荷物に比べ、石油のような液体は密度が高いせいか、手応えが重い。それだけだろうか。整備しているとはいえ、DD51は廃車寸前。馬力が落ちている懸念が拭えない。窓をたたく雨粒は徐々に大きさを増していく。郡山まで、あと六十数キロもあるのに。速度を上げていく石油列車を、関係者たちが祈るような気持ちで見送った。
◆車輪空転の恐れ
前日の25日。会津若松駅の会議室では、JR東日本側のミーティングが行われていた。石油列車のタイムスケジュールや異常時の対応手順などを確認した。会議終了後、会津若松駅長(当時)の渡辺光浩さんは部下に声をかけた。「貨物(JR貨物)からは何か言ってきたか」「いや、何も。駅長、何か気掛かりでも」「DD51の牽引定数、平地で800トンだろ。今回の600トンの石油タンク、重すぎないかな…」