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≪インタビュー≫
□中川淳社長
■商品の世界観発信は店があってこそ
--入社した当初は雑貨事業で赤字を抱えていた
「民間にありがちなのが、『いい物さえ作っていればなんとかなる』という意識。作っている本人たちはブランド気分でいたが、誰もそんな名前は知らない。だからコンセプトを明確にし、うちなりのブランディングのやり方をつくった。お客さんに思いを伝える一番の手段はお店を持つことと思い、小売店をつくった」
--節目となる事業は
「入社後、新ブランドとして2004年に『粋更kisara』を立ち上げた。04年の売り上げは70万円ほどで、ぼろぼろ。06年に表参道ヒルズに直営店を持ったことで、ブランドの認知も広がり、黒字化した。商品は劇的に変わったわけではない。だが、お店という形ができて世界観ができ、ちゃんと伝えられる状況があって初めて伝わる、と改めて痛感した」
--コンサルティング事業を始めた理由は
「仕入れ先が、バブル後期のピーク時に比べ売り上げが3分の1、社数は半分ほどに減っている。工芸が残ってほしいという思いや、この人たちがいなくなると物がつくれなくなるという危機感。そうしたものが重なり合って『日本の工芸を元気にする』という活動を始めた。その旗印の下に、志をもった社員が全国から集まるようになった」
--創業300周年を迎える
「工芸は世界的に廃れていっている。日本は復興しようという機運が高く、何十年後かに『工芸大国日本』になるかもしれない。日本でまじめにやる状況が何十年後に残っていれば、世界でもまれになっていて、インバウンドにもつながるのでは。16年春から『大日本市エキスポ』というイベントをする。産地を回り、地元の人が誇りを持って働けるよう見方を変えるきっかけづくりにして、ずっといろんな産地を回り続けたい」