長期的に見れば、ユーザーに友人と無料でコミュニケーションをとる方法を与える代わりに個人情報へのアクセス権を受け、それを企業に提供するという、ユーザーに頼り切った事業モデルはかなり危険な賭けだ。テクノロジー界の転換ひとつで、ソーシャルネットワークは廃れてしまう可能性をはらんでいる。その転換はソーシャルネットワークがコントロールできるものではなく、携帯端末の提供社からもたらされるものだ。
仮にそうだとしても、フェイスブックもツイッターも近い将来、急に消えてなくなってしまうということはないだろう。いや、実際のところ、彼らは短期的に見ればこれからも多くの収益を上げるとみてよい。成長曲線は山形だ。ソーシャルネットワークがユーザーの収益化の術を見いだし、広告主に対して新しいサービスと製品を提供し始めれば、そのとき成長は加速し、曲線は急勾配の右肩上がりをみせるだろう。
しかし、その先には、ゆっくりとではあるが確実にユーザーの成長が止まり、そして落ちるときがくる。現在のトップ10カ国では、利用は飽和状態に達し、若い層のユーザーがもっとプライバシーに配慮したツールに移っていくだろう。
そうなると、そこには元々のツイッターファンしか残らない。ツイッター第1世代とも呼べる、当時大学生であった人たちや、現在30代から40代の人々は、何か他に良いものが見つかるまでツイッターを使い続けるしかない。私たちはティーンエージャーや大学生のように素早く方向転換しないため、成長の鈍化のスピードもそう速くはならないだろう。そのため、いつかは私たちもツイッターを去るとしても、それまでの間は私たちが収益源となって、成長曲線の下り坂は緩やかなものとなる。
もちろん、この間も新興国ではユーザーの増加が続くが、どんなに進化した技術をもってしても先進諸国のユーザー減少を補えるほどに新興国から収益を上げることはできまい。