社員が不安におびえながら作ったソフトは「人の心を動かさない」(岩田社長)企業精神の元、任天堂は短期の業績改善を求めたリストラをしない主義を徹底させてきた。その“常識”を覆す議論が求められる窮地に追いやられるとは、ファミコン発売当初、誰も予想していなかっただろう。
過ぎ去った任天堂の“独壇場”
ファミコンは、当時、任天堂のゲーム機開発責任者だった上村雅之氏らが、ゲームセンターで人気だった「ドンキーコング」を自宅で遊べる方法を考えたのがきっかけで昭和56年に開発をスタート。58年の発売以降、任天堂の業績は右肩上がりで成長を続けた。「スーパーマリオブラザーズ」や「ドラゴンクエスト」など多くの人気ソフトを生み、家庭用ゲーム機市場をほぼ独占した。
ファミコンソフトのロックマンシリーズの開発に携わったカプコン社員は「グラフィックが今のゲームよりシンプルだったからこそ、ストーリーや娯楽性にこだわる内容の濃いソフトが多かった」と人気の要因を振り返る。