不完全燃焼…レクサスに立ちはだかる欧州の壁 資金豊富でもブランド作りは難しい

 
豊田織機でヒントを得た作品

 レクサスというブランドを語るのは簡単ではない。レクサスの名前が知られているかどうかではなく、「トヨタが目標にしているような高級ブランドになりえるのか?」という観点で意見が交わされるからだ。

 「トヨタというお金の豊富にある成功している大企業ならば、短期間で高級ブランドを作るのも可能だろう」と当然のように思われる。しかしながら名前を連呼して知名度があがるのは資金次第であるが、高級と名のつくブランドは自作自演ではどうにもならない。この両者にあるギャップが、レクサスを苦しめているのは想像に難くない。

 2005年から4月のミラノデザインウィーク開催中にレクサスのプレゼンが行われてきた。毎年(不参加の年もあったが)、それをみながらレクサスについて考えることも多い。どうして、こんなにも売れないのか? 迷走のしすぎではないか? 君臨するドイツメーカーのお膝元で市場を作るのは、そもそも無理な話なのか?

 1989年から販売をはじめた米国では年間20数万台レベルの成功ブランドであるが、欧州では年間6万台に満たない不完全燃焼ブランドだ。

 今年も4月12日から17日の6日間、ミラノのデザインウィーク中にレクサスは展示を行った。2013年からクルマそのものを見せるのではなく、一つは世界の若い人たちが参加するデザインコンペの優秀作品のお披露目。二つにレクサスというブランドをテーマにさまざまな角度から表現しようと試みている。

 ぼくが今年のイベントで注目したのは、このテーマ(今年は「予見」)の表現者としてオランダを拠点に活躍するデザインスタジオ、フォルマファンタズマに任せたことだ。

 フォルマファンタズマは歴史や文化をキーワードに活動している。これまで「グローバルへのイケイケ感」と「もの言わぬ日本の美学」の間を揺れ続けてきたレクサスが、世界に通じる言葉と地域でしか通じない言葉の2つを巧妙に使いこなすデザインチームと協業しようと決意した。

 この決定そのものが、右往左往してきたレクサスの新たな光明を示すのではないか、とぼくは期待したのだった。

 フォルマファンタズマのアンドレア・トリマルキ氏とシモーネ・ファルジン氏の2人は日本のトヨタを訪れ、トヨタの源流に豊田織機があると知る。塗装ラインでロボットではカバーしきれない作業を人手が補う光景を目にする。日本の建築空間には障子にあるように、見えるか見えないかが曖昧な光の世界があると気づく。

 これらの経験によって多数の糸につけられた色が形づくるレクサスのクルマとのアイデアが生まれてきた。トヨタの水素自動車から、水素を動力源とする燃料電池システムを使ったキティックライトも別のスペースに用意した。

 彼らと直接話し、彼らの考えがどこにあるのかもわかった。しかし正直に言って、彼らのコンセプトが視覚的に十分に表現しきれたとは思えないのが残念なところだ。多分、見学者はコンセプトをちゃんと書面で読むなり説明を受けないと、フォルマファンタズマの意図がはっきりと見えてこないだろう。

 それでも、フォルマファンタズマを指名した一点で、ぼくはレクサスというブランドが「一皮むける」意思を示したと考えた。

 ただ一回のイベントで彼らを登場させただけでは、あまり意味がない。

 今、デザインの表現で大事なのは、マーケティングから導き出した無国籍のインターナショナルデザインではない。かといって思い入れたっぷりのローカルデザインが世界の市場を相手にする大量生産のクルマに相応しいわけでもない。

 ローカルな言葉を喋りながらインターナショナルを語り、インターナショナルな言葉を喋りながらローカルを魅力的に語る。その術が必要だ。フォルマファンタズマは、その術をもっていながら、クルマというジャンルにマッチする言葉を磨き切れていなかった。

 

 レクサスがこれからまだまだ作っていくプロセスを覚悟しているならば、フォルマファンタズマをチームの重要なメンバーとして迎え、一緒に歩いていくべきではないか。

                      

(安西洋之)