■バラマキ合戦を批判した「心あるモノ言う犬」
もう一つ。
安倍政権下で起きた「森友・加計問題」の舞台となった財務省で、岸田政権の発足直後に、「政」と「官」の関係を問うシンボリックな「事件」が起きた。
10月8日に発売された『文藝春秋』11月号に、財務省の矢野康治事務次官が寄稿した「財務次官、モノ申す『このままでは国家財政は破綻する』」と題する一文が掲載されたのである。「官」のトップである現役の財務次官が「政」を真正面から批判する文章を対外的に発信するのは、きわめて異例だ。
矢野次官は、自らを「心あるモノ言う犬」と称し、与党を中心とする経済政策論争を「バラマキ合戦」と批判。日本の財政事情を「タイタニック号が氷山に向かって突進しているようなもの」と例え、「このままでは日本は沈没してしまう」と警鐘を鳴らした。
そして、バラマキ政策の弊害をもっともわかっている財務省が黙っているのは「不作為の罪」と断じ、財務官僚としての矜持を示そうとしたのである。
さらに、後藤田正晴元官房長官が官僚に訓示した「後藤田五訓」の「勇気をもって意見具申せよ」を引き合いに出して吏道の心得を説き、「国家国民のため、社会正義のため、政治家が最善の判断を下せるよう、自らの意見を述べてサポートしなければならない」と論じた。
続けて、「政治主導」「官邸主導」が標榜されているからといって、指示待ちを決め込んだり、黙して服従するのは「血税ドロボウ」と自嘲。「公僕は、余計な畏れを捨て、己を捨てて、日本の将来をも見据え、しっかり意見具申せねばならないと自戒している」と記したのである。
■行き過ぎた「官邸主導」で霞が関は沈黙
「政」と「官」のまっとうなあり方を訴えた寄稿に、衆院選が目前に迫った政界は動揺した。
政府の松野博一官房長官は「財政健全化に向けた一般的な政策論について私的な意見を述べたもの」と平静を装ったが、安倍元首相は強い不快感を示したといわれ、自民党の高市早苗政調会長が「大変失礼な言い方だ」と激しく反発、公明党の山口那津男代表も「財源の制約も考え配慮している」と反論した。
そんな過敏ともいえる反応が飛び出しのは、「政」が「官」の優位に立つ政治力学にたっぷり漬かった面々には、矢野寄稿は「官僚の分を超えた」と映ったからにほかならない。
安倍・菅政権時代を通じて、「官」の苦悩はだんだん深まっていった。官邸に政策決定の主導権を奪われて専門知に基づく意見を言うこともはばかられ、内閣人事局に人事権を握られて「官邸の意に沿わないと飛ばされる」という恐怖心から官邸の顔色ばかりをうかがうようになった。
その結果、霞が関全体が萎縮し、「忖度(そんたく)」や「公文書改竄(かいざん)」というかつてない弊害を生み出した。
行き過ぎた「官邸主導」で、霞が関は沈黙し、政策立案能力は日増しに低下したといわれる。「官」のフラストレーションはたまる一方で、忸怩(じくじ)たる思いで日々を過ごしてきたに違いない。
岸田政権発足に合わせて披歴された矢野寄稿は、まさに財務省ひいては霞が関官僚の想いを代弁する直截な物言いであり、「政」と「官」の関係修復への期待を込めた願いとも言える。
■「働く魅力がない」若手官僚の退職者は激増
こうした実態が、霞が関官僚の士気の低下を生んだ主因となったことは容易に察せられる。
とくに、若手官僚の喪失感は半端ではないようだ。
内閣人事局のまとめによると、自己都合を理由とする20代総合職の退職者は、2013年度には21人だったが、18年度に64人、19年度には86人と、6年間で4倍以上に激増した。
20年度も、NHKの取材で明らかになっただけで、総務省14人、国土交通省8人、厚生労働省6人、文部科学省6人、防衛省2人という。
各省庁とも毎年、総合職で入省する幹部候補生は20~30人程度だけに、難関をくぐり抜けて採用された優秀な人材の流出は「国家的な損失」ともいえる。
また、内閣人事局が19年末に実施した国家公務員の意識調査(回答数:約4万5000人)では、30歳未満の若手職員のうち「3年以内に辞めたい」という意向をもっている人が、男性で7人に1人、女性は10人に1人に上った。
その理由のトップ3は、男性が「もっと自己成長できる魅力的な仕事に就きたい」49%、「収入が少ない」40%、「長時間労働で仕事と家庭の両立が難しい」34%。女性は「長時間労働で仕事と家庭の両立が難しい」47%、「もっと自己成長できる魅力的な仕事に就きたい」44%、「収入が少ない」28%と続いた。
若手職員が「官僚として働く魅力がない」と感じているのであれば、「霞が関の停滞」は「霞が関の衰退」につながっていく。