1歳の頃、喘息をかかえたフェデリカは医師から空気の良い場所で休暇を過ごすように勧められる。そこで父親はワンボックスをキャンピングカーに改造し、毎週末、山や湖に家族ででかけるようになる。
夏休みともなると3週間、外国を旅した。北はスカンジナビア諸国、西は英国とベルリンの壁が崩壊する前の西ヨーロッパ各国をくまなくまわった。東はトルコやシリアやヨルダンの砂漠地帯まで、すべて父親がハンドルを握りキャンピングカーで行く。自宅のあるヴェローナからヨルダンまで最短でも片道4千キロ近くだ!
ギリシャの海岸沿いにクルマを止め、海で遊びクルマの外で星空を眺めながら寝ることもあった。旧ユーゴスラビア滞在中、戦争が勃発して逃げるように帰国したこともある。
普段から地元の劇場にも通う父親は文化を愛好し、新しい場所に旅することが好きだったこともこうした習慣に寄与した。
クルマが故障すれば、知らない土地の修理工場の扉を叩くことになる。しかも、格安航空券により海外旅行が大衆化する前でもある。コミュニケーションはどこも今より難しかった。道中に出逢うさまざまな直接的な体験を通じ、フェデリカも異なる文化に接する面白さに目覚めていったのだ。
両親は英語があまり得意ではなかった。ある意味、これも功を奏した。娘である小学生のフェデリカも自ら英語を積極的に話さざるを得なかったのだ。結果的に、彼女の英語力向上に貢献した。
高校生になると古典ギリシャ語やラテン語を学んだが、これらの語学学習も通じ、異なった文化を知るとは異なった考え方を知ることだと認識した。