サザビーズはアートのオークションハウスとして知られる。だが、学校も経営している。50年前に社内でアート専門家を育成するのを目的としてはじまり、その後、外部の人も学べる教育機関となった。
このロンドンのサザビーズのアート・インスティテュートで教鞭をとるフェデリカ・カルロットが今回の主人公だ。彼女はイタリア人でラグジュアリー分野のプログラムを担当している。
フェデリカはヴェネツィア大学で日本語を学んだ。既に高校までに英語を喋ることができた彼女は、大学で他の欧州言語を勉強するのは「今さら感」があった。全く知らない言語に挑戦したかった。選択肢として挙がったのは東洋言語。中国語か日本語だ。
フェデリカは日本語を選んだ。1990年代後半、中国よりも日本が経済的にも文化的にも「まだ洗練しているように見えた」頃だったのだ。
学生の時、夏休みにはじめて京都に1か月滞在した。そこで何を発見したか?
「ああ、日本語は存在していた! と実感したの」とフェデリカは話す。「えっ! 大学で日本人の先生から日本語を教えてもらったのでしょう?」とぼくは思わず尋ねた。
当時、インターネットが一般に普及しておらず、漢字が書かれたTシャツもタトゥもさほど流行っていなかった。イタリアにいる日本人と日本語で話しても、日本語が本当に通用する世界があると確信をもつこととは別なのだ。
それが京都で道行く人に話しかけて日本語が通じた。これに感激したフェデリカは、道に迷ったフリをして通りがかりの人に片端から「すみませ~ん」と道を聞いて日本語の会話を重ねた。言ってみればコンテクスト理解の仕方を身に着けようとした。
ヴェネツィア大学卒業後、日本の文科省の奨学金を獲得した。「日本におけるメイド・イン・イタリー」をテーマにファッションに強い東京の文化学園大学で修士・博士課程を終えた。イタリアに戻ると2つの大学で異文化コミュニケーションを教え、英国の大学院で経営学修士(MBA)をとる。そして現在、サザビーズの教壇にたつに至ったというわけだ。
さて、フェデリカは異なる文化にどうして目を向けるようになったのだろう。