世の中は「不要不急の仕事」だらけ
言葉通り捉えれば「今、すぐにやらなくてはならない、重要な仕事」、すなわち、衣食住に直結する「今それがないと生きていけない」仕事になります。
では、いったいどれほどそんな仕事が世の中にあるのでしょうか? いったいどれだけの人が、そんな仕事に就いているのでしょうか?
例えば、自分のこれまでの経歴で考えると……、客室乗務員(CA)の仕事は政府の要請などによる緊急時のフライトでない限り不要不急です。お天気キャスターの仕事は、それこそ台風でも来ない限り、不要不急。講演会も、講義も、書籍の執筆も、はたまたこのコラムも、不要不急以外の何物でもない。
いずれの仕事も「その時間に、自分が、その場所に行かなくていけない仕事、時間通りに終わらせなくてはいけない仕事」ではありますが、それが「不要不急か」と聞かれれば、答えはノー。
ただ、だからといって全く必要のないものではなく、今すぐに必要でなくとも後々に必要なものだったり、急ぎではないけどとても大切なことだったり。不要不急な仕事とは、それがなくとも最悪生きていくことだけはできる、というレベルだと思うのです。
言い換えれば、世の中、救急救命医など人の命に関わる仕事以外は、不要不急の仕事だらけで。「僕の仕事は不要不急なのか」などと落ち込むことも、「僕は存在価値がないのか」などと心配しなくてもいい。社会には不要不急の仕事に関わっている人があふれていて、忙しそうに動き回っている人の仕事だって、不要不急の仕事の山なのかもしれないのです。
ただし、それが仕事として存在する以上、社会に必要な仕事。そして、その仕事が必要とされ続けるには、自分が仕事に価値を与える働き方を、自分が必要とされる働き方をすることが大切になります。
「会社員する」のではなく、「仕事する」人になる。その意識を持てるかどうかが肝心なのです。
自然災害で問われる「あなたがそこにいる意味」
少々ややこしい話になりましたが、自然災害は常に根源的な問いを人に投げかけます。
東日本大震災は、さまざまな形で「あなたがそこにいる意味」を問いかけました。「自分に何ができるか?」「自分にできることは何か?」と、誰もが「自分がここにいる意味」をまさしく自問しました。
当時のことを思い返せば、今回の台風で「痛勤地獄」を味わう必要はなかった。
本当にあの日会社に行かなくてはならない人だけが「会社に行く」という選択をすれば、そういう人たちがもっと早く会社に行けたし、彼ら彼女たちが来ることを待ちわびている人たちを安心させることができたはずです。
当然、会社は「出社させない」という決断をすべきでした。でも、自ら「出社しない」という決断を、自立した成人として下してもよかったし、そういう決断をもっと多くの人ができる社会が、本当の意味で成熟した社会なのかもしれません。(河合薫)
(ITmedia)