「震災直後、会社から自宅待機の指示が出されて、上司からも『必要がない限りは来ないように』と言われました。会議は当然ながら中止になった。社外の方との打ち合わせも延期。
それであらためて自分の仕事を精査すると、別に今やらなくても困らないだろうってことのオンパレードで。スケジュール帳に書き込まれていた仕事は、全て不要不急だったんです。
僕の仕事のほとんどが重要でもなければ、急ぎでもない。これまで忙しいと思っていたのは単なる幻想で、自分は社内失業しているんじゃないかってむなしくなってしまって。完全に自信喪失です」
こう話してくれたのは40代前半の男性会社員ですが、彼と同じように複雑な心情を告白してくれた人がたくさんいたのです。
「会社に行くこと」が存在価値だと思ってしまう
いったいなぜ、彼らは「不要不急」という言葉に震撼(しんかん)したのか?
「忙しい人=仕事ができる人、ヒマな人=仕事ができない人」という価値観が骨の髄まで刷り込まれている会社員にとって、「不要不急の仕事しかない人=存在価値のない人」。
「這ってでも来い!」と言われれば「休ませろ!」と訴えるのに、「休みなさい」と言われると「はい、休みます」とは素直に思えない。「忙しい~」と悲鳴を上げている時には「ヒマになりたい」と願っていたのに、「ヒマになった」途端、不安になる。
なんだかむちゃくちゃではありますが、自分の価値、自分の存在意義を欲する人間にとって、「会社に行く」という行為自体が、ときに自分の存在価値の証になる。まさに「会社員という病」です。
会社員でいることが目的になってしまうと、仕事をするのではなく、“会社員する”ようになってしまうのです。
実は件の男性は、「自分の仕事には不要不急なものしかない」という事実を認めたくなくて、出社したそうです。すると、なんと驚くことに、結構な人たちが来ていて「取りあえず来た」と、互いに笑いあったと教えてくれました。
……これってめちゃくちゃ日本人っぽい。海外ではめったに見られない光景であることは間違いありません。
そもそも不要不急じゃない仕事とは何なのでしょうか?