そんな見立てが図らずも裏付けられたのは、むしろ悲しい結末からでした。しばらくそのお店にいけなかった時期があり久しぶりに行くとまずそのオヤジがいないことに気が付きました。案の定嫌な予感は的中、あれほど別格に素晴らしかったそのお店の料理、サービスともにまったく普通レベルに変わり果ててしまっていたのです。まさに「神は細部に宿る」。メニューも内装も何も変わったわけではないのに、まるで指揮者不在のオーケストラのように気の抜けたような状態への劇変は、逆説的に一人の意識ある人間の関与がいかに素晴らしい食、サービスを実現する上で不可欠か思い知らしてくれたものでした。
ミシュラン星付きのお店にチェーン店や大箱はほとんどありません。もちろんセントラルキッチンなど優れた合理化策で飲食業はコストパフォーマンス含めて多くの現実的な豊かさを生活者に提供してくれるに至りました。しかしやはりある一定以上の味を実現するためには、個人の圧倒的な関与が不可欠であることは実は誰しも薄々気付いている現実ではないでしょうか。
■クラフトと名乗るハードルを越えてきたのか
それゆえのクラフトビールです。そう考えてみると、市場投入に際してのハードルは決して低いわけがありません。ということで試してみると、まず濃い褐色クリーミーな泡立ちは我々が普段飲んでいるビールとの違いを目にアピールしてきます。穀物感と苦みを予感させる濃い香り、実際に口にしてもはっきりと濃厚、コクと甘味、苦みが混ざった複雑さを感じさせてくれます。しかものどごしがなめらか。これは明らかに一番搾りを含めての日本の定番ビールとは違う方向性です。やはりあえて近いものを言えばヨーロッパのビールでしょうか。
なるほど、これだけ違いを明確に感じられるのであれば、少し高めの販売価格も含めて納得と言えるように思います。パッケージはやや平凡、ネーミングの「スプリングバレー」が明治3年の源流たる醸造所に由来することも伝わっているとは言い難く。まして「496」は黄金比を表すマジックナンバーだそうですがちょっと理解できませんでした。
が、とは言え、ある意味大企業製品らしからぬそんな予定調和外、わけのわからなさも、手作り感と感じなくもありません。販売も好調とのこと、とにもかくにもクラフトの期待感に応える美味しさは貴重と感じます。家飲みちょっとした贅沢の選択肢が増えることは何にしても喜ばしいことと言えるのではないでしょうか。
【ブランドウォッチング】は秋月涼佑さんが話題の商品の市場背景や開発意図について専門家の視点で解説する連載コラムです。更新は原則隔週火曜日。アーカイブはこちら