西村康稔経済再生担当大臣を見てると「無能な責任者」を思い出してしまうのである。この人物のこれまでの動きを見ていると我々が「仕事上やってはいけないこと」の示唆に富んでいることが分かる。つまりはビジネストラブルがいかに発生するか、のケーススタディを日々我々はニュースで見ているのだ。政府のコロナ対策の失敗の理由がよく分かる。
コロナ対策、責任の所在は…
4月22日、緊急事態宣言の発令について「なんとしても感染者数を減少させなければならない。近く分科会を開き、専門家の意見を聞いた上で最終的に判断する」と述べた。
そして25日、実際に緊急事態宣言が発動された後の会見では「分科会の専門家からも、徹底した対策がとられれば必ず成果は出るという指摘がある」と述べた。
どうもこの人と菅義偉首相は何かを話す時に「専門家が」と言い続ける。そして、分科会の尾身茂会長も一応意見は言うが「我々は提言するだけの立場、決めるのは政治家」というスタンスを取る。このやり取りをもう1年以上やっているわけだが、互いに何ら責任を取っていない。
両者の置かれた状況を簡単にまとめると、以下のようになるだろう。
政治家(西村氏、菅氏):我々は感染症のプロではないから、解決策を持たない。専門家にそこは委ねているし、決めたことも専門家の意見に従って我々なりの政治判断をしているだけである。
専門家(分科会・尾身氏):我々は感染症のプロではあるが、あくまでもその知見から類推できる事態・展望を最終的な決断を下す政治家に伝えているだけである。政治家が発令したものについて私達に文句を言われても困る。
政治家:いやいや、あなた方が言ったから我々はこの発令をしたんですよ……。
専門家:最終的な決定権はそちらにある。
完全に責任のなすりつけ合いになってしまっている。
もう1年3ヶ月以上もこの騒動をやっているのだから、西村氏にも相当な知見が溜まっているだろうし、分科会が提言することの大部分は「想定内」といった状況だろう。そして、分科会は「最悪の事態」を言うものである。当然楽観論も述べるが、決断する人間は最悪の事態、ないしはその中間の意見を採用し、楽観論はまず採用しない。
「とにかく何かあった場合に責任を取りたくない」という気持ちから、毎度「専門家の意見を聞いて」の一言を挟み込むのだ。