3月14日、東京の山手線に49年ぶりの新駅「高輪ゲートウェイ」が開業しました。概ね好評なお披露目の中で、意外なところでちょっとした騒動が起きました。駅名表記の看板が明朝体だったことでSNS上で「ダサい」などの声が飛び交ったのです。実際は折り紙をモチーフとして駅舎を設計した隈研吾建築都市設計事務所の提案も踏まえたデザイン上の意図だったようですが、ゴシックの駅名表記を見慣れた目にはどうしても違和感を禁じ得なかったようです。
私自身もずーっと不思議でならないのですが、例えば化粧品などのパッケージ開発をするとき英文字表記はカッコよく決まるのですが、漢字やひらがな表記をすると途端にカッコ悪く見えはじめるのです。もちろんコーセー雪肌精など例外はあるのですが、まして明朝体の表記など高難易度のチャレンジという他ありません。英文字がカッコよく見えるあまり、意味不明の英文をついついパッケージデザインに取り入れてしまう例も少なくないぐらいです。
伝統由来を時代遅れと感じてしまう感性
この潜在意識まで刷り込まれたかのようなアルファベット志向、つまり欧米文化に由来するものがカッコよくて日本の伝統に由来するものがなんとなく時代遅れという感覚は、舶来ものという言葉が死語になった今でさえ結構根強いのではないでしょうか。考えてみれば鹿鳴館が建設されたのは1883年ですが、日本は営々と欧米式の生活様式を取り入れてきました。生活の基盤である住の領域を見ても、最近の新築マンションではかつてせめて一部屋はあった和室さえまったく存在しない間取りが当たり前になってきているようです。
そんな今に至る洋風志向の際たる領域は、歴史的にアパレルや雑貨などのライフスタイル商品ではないでしょうか。ヨーロッパの階級社会をバックグラウンドにもつ高級ブランドの人気は相かわらず根強いですし、今をときめくセレクトショップや世界を席捲するユニクロなども、アメカジやアイビー、イタリアンカジュアルなどの影響抜きには語れません。
逆に言えば、日本各地域で手仕事や家族経営の工場などで営々と作られてきた商品たちは、残念ですがちょっとパッとしない印象で受け取られがちです。こういっちゃなんですが、さびれた土産物屋に所在なげに並べられているイメージがどうしてもしてしまいます。もちろん日本はモノづくりの国。その技術や伝統が良いものであることは自他ともに認知するところですが、なかなか日常を豊かにするアイテムとして生活に取り入れる頻度は高くないと言わざるをえません。
でもかのルイ・ヴィトンのモノグラムが日本の伝統的な和柄からインスピレーションを得てデザインされたことは有名です。そして日本のモノづくりが悪いものであるわけはなく、日本の伝統的な手仕事の良さやデザインを今の生活にフィットするかたちでプレゼンテーション、紹介する場があればもっと日本の良いモノに出会えるような気がしてなりませんでした。