文化によって習慣は異なる。
それでは、寝落ちへの寛容度と鼻水の処理の違いは、同じレベルで論じられるだろうか?パスタを食べる時には音をたてず、蕎麦を食べる時に音をたてる。これらの文化の違いと、寝落ちを同列で考えてよいことなのか?
結論を言えば、生理的な音(鼻水からトイレでの音まで)への感覚の違いと、人前で寝落ちすることへの寛容度の違いは同列にならないと思う。どのような角度から考えても、人の話を聞きながら寝ても良いとは言い難い。どうしても睡魔から逃れられないのなら、黙って退出するべきだ。
地下鉄などの公共機関のなかで寝るかどうかは、安全のレベルなどを勘案し、国によって許容度が異なるのは当然である。電車のロングシートで後頭部を窓ガラスに押し付け、口をぱっくり開けていくらいびきをたてようが、それは本人が恥ずかしいと思わない限り、他人が文句を言う筋合いのものではない。それでバッグから財布を抜き取られても、本人の責任だ。
しかし、講演やミーティングに参加しながら寝るのは、他人への敬意に欠ける。他人への敬意自体に無関心であり、身体全体をもって無関心を表現するのは、社会における振る舞いとして敵意の表現にさえなることがある。だから外交上のトラブルを回避するためには退出するしかない。
日本に独自の文化があるのは良いことだ。だが人前で寝落ちする文化は危険度が高すぎる。
【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。