ユニクロの成長を同時代にビジネスマンとして生活者として身近に見てきました。思い出されるのは2005年。ユニクロを展開するファーストリテイリングの当時会長だった柳井正氏自身が誰よりも認め、その3年前社長につけた、評判の良い当時まだ43歳の玉塚元一氏を事実上解任した件です。「玉塚氏は安定的な成長を求めていた。私としては、もっと変化して成長したいという思いがあった」との理由を柳井氏は語りました。当時のメディアの論調や世間の反応は、オーナーの気まぐれとか、何もそこまでしなくても、というものであったと記憶しています。
でも今のユニクロを見れば誰もが柳井氏の当時のコメントの意味が理解できます。ああ、柳井さんには現在のユニクロの姿がビジョンとして明快に見えていたんだなと。正直玉塚さんだけではなく、我々日本のビジネスマンのほとんどが、柳井氏ほどのスケール感や具体性をもってユニクロの現在をイメージできなかったはずですし、それゆえに柳井氏はそのビジョンを実現するためには自分が陣頭指揮を執る他なかったわけです。
そう考えると、後講釈の“しゃらくささ”でユニクロについて語ることは憚られるのですが、ここは大いなる敬意を込めてブランディングという視点でも大変優れたお手本と言えるユニクロの取り組みを振り返りたいと思います。
「服を変え、常識を変え、世界を変えていく」
ブランディングというと、ロゴやツール、パッケージのデザインを考えたり、ユニークな企業広告を作ったりする取り組みというような、ちょっとお化粧するような感覚で受け取られることがよくあるのですが、実際にはあらゆる企業の活動に首尾一貫した企業価値を込め、それをお客様はじめとするすべてのステークホルダーに伝える取り組みです。
つまり、メーカーで言えば商品、サービス業で言えば社員こそが企業のブランド価値を伝える最大の接点(コンタクトポイントとかタッチポイントと呼ぶ)となるのです。
その点、ユニクロの製品の進化は年々すさまじいものがあり、今や雄弁に自らのブランド価値を訴求していますね。筆者もご多分に漏れずユニクロの製品を日常的に多く愛用させてもらっていますが、付き合いの古い友人や家族からは相当に驚かれます。実は筆者はサラリーマンの当時から、相当な無理をしてファッションにお金をつぎ込んできた人間です。どこか哲学性を感じさせる山本耀司や川久保玲をリスペクトし、海外の主なデザイナーの洋服もあらかた自腹で袖を通してきました。そんな筆者からすると、ユニクロの服はかつてアンチファッションというか、そんな服飾文化やこだわりを否定する邪悪と言って良い存在とさえ思えてならなかったのです。確かにそんな感性はちょっと極端であったにしても、世間一般にも「ユニばれ」という言葉が存在したように、安いし品質は悪くなさそうだからまあ買うかな、というやや消極的な位置づけだったように思います。