【試乗インプレ】懐かしの名車多数 欧米を猛追する戦後国産車の躍進 トヨタ博物館見学記(後編)
更新常設展示紹介後編の今回は、第二次世界大戦終結後の1950年代から2000年代の各国のクルマを年代順に追いながら、現代につながる技術の発展とその背景をたどってみよう。前回に引き続き、博物館の車両学芸グループ主幹・次郎坊浩典さんの解説に基づき、私の感想も交えて構成していく。前編と違って国産車の割合が多いから、40代以上の読者は懐かしい気分で見ていただけるだろうし、30代以下の世代には古いクルマたちがむしろ新鮮に見えるかもしれない。(文と写真:産経新聞大阪本社Web編集室 小島純一)
第二次世界大戦終結、欧州でも大衆化
欧州全域と極東を焦土化した戦争が終わり、戦勝国も敗戦国も復興が軌道に乗り出した1950年代。自動車の世界も大きな変化を迎えていた。T型フォードの大成功で、いち早く自動車の大衆化が進んでいた米国に対し、大戦前の欧州でもイタリアのフィアット・500、フランスのシトロエン・5CVなどが大衆化に先鞭をつけ、戦後復興が進むとともにその波は大きくなっていった。
ドイツでは戦前戦中、ヒトラーが提唱した「国民車(フォルクスワーゲン)構想」に基づき、後に「ビートル(カブト虫)」の愛称で長く愛されることになるフォルクスワーゲン・タイプⅠの試作を終えていたものの、戦時中は軍用車であるキューベルワーゲン、シュビムワーゲンの生産に集中、自家用の生産は行われなかった。一般ユーザーが入手できるようになったのは、結局戦争が終わった後になってからだった。このビートルはドイツの自動車の大衆化を支える大黒柱になっていく。
フランスでは、近代化が遅れていた農業従事者のための廉価な乗用車開発をシトロエンが模索。1935年にTPV(超小型車)計画に着手、大戦を経て1948年のパリサロンで2CVを発表した。発表時は同時代の他のクルマとあまりに異なる造形に嘲笑さえ起こったというが、その合理性と信頼性、高いコストパフォーマンスはたちまち多くのユーザーに受け入れられ、シトロエンの先見性を証明。改良を続けながら40年間作り続けられて、フランスを代表する大衆車となった。