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人とのつながりをダンスへ昇華 タップダンサー、熊谷和徳さんインタビュー
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「タップダンスを続けることが使命」と語るタップダンサー、熊谷和徳さん(田中幸美撮影) カカーン、カカカン…。床を打ちつけるタップシューズが、まるで躍動する打楽器のように強烈なリズムを刻んだ。その場にいた全員の視線が世界的タップダンサー、熊谷和徳さん(36)の足元にくぎ付けになる。昨年(2013年)12月中旬、東京都新宿区のあるスタジオ。1年間のニューヨーク留学を終えて帰国した熊谷さんに直接指導を受けられるチャンスと、初心者を含め20人以上が集まった。
熊谷さんは5倍の難関を突破し、文化庁の2012年度「新進芸術家海外研修制度」で、タップダンサーとして初めて公費留学した。「アメリカンタップダンス機構(ATF)」という組織に所属し、講師として子供やプロを目指す大人たちに教えるかたわら、全米のタップのショーに出演して腕を磨いた。
今回のNY行きは実は2度目。15歳の時タップダンスを始めたが、本場でチャレンジしたいと高校卒業後の19歳で飛び出した。NYでは大学で心理学を学びながら、タップダンサーの集まるジャズクラブなどに通っては実践的なタップを身につけていった。自身がタップを始めるきっかけとなったタップの神様、グレゴリー・ハインズに認められ、タップダンサーへの道が開けた。
帰国後はジャズやクラシックなどのアーティストとセッションを行って新境地を開拓。米ダンスマガジンで「世界で観るべき25人のダンサー」にも選ばれるなど自らの世界を築いた。
しかし、2011年3月11日を境にすべてが変わってしまった。「踊りのモチベーションがストップしてしまうほどだった」という。
仙台市出身の熊谷さんは高校まで仙台で過ごした。東日本大震災で青葉区に住む両親は無事だったが、中学時代の友人や親戚を亡くした。震災の1カ月前にショーをした名取市(宮城県)の会館は避難所になっていた。「ショーを見てくれたお客さんのどれだけが亡くなったのだろうかと考えるとかなりしんどかった」という。
2011年は支援に力を注いだ。しかし、震災のチャリティーイベントに呼ばれてタップを披露しても「果たしてそれがどういう意味を持つのか」と懐疑的になり、自分ができる支援に限界があることも思い知らされた。悩んだ挙げ句、「いいタップダンサーになることを追求するのが自分の使命」と思い至った。「次のステップに行くためには、やってきたすべてをもう一度NYでぶつけてどう評価されるか知りたかった」とも。
17日から凱旋(がいせん)公演を行う。タイトルは「DANCE TO THE ONE」。「それぞれの大切な思いをつないで一つになりたい」という。震災を機に再確認した人とのつながりをダンスへと昇華させた。(田中幸美(さちみ)、写真も/SANKEI EXPRESS)
2014年1月17日(金)午後7時30分開演、18日(土)と19日(日)は午後2時開演。場所は、東京都渋谷区道玄坂2の24の1、Bunkamuraオーチャードホール。S席8500円、A席6000円、B席4500円、C席3000円。問い合わせは、チケットスペース(電)03・3234・9999。