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【花緑の「世界はまるで落語」】(20) 談志師匠の至芸に思いはせ

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【花緑の「世界はまるで落語」】(20) 談志師匠の至芸に思いはせ

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 立川談志師匠が亡くなって2年、三回忌を迎えました。生前は師匠にとてもかわいがっていただきました。それは僕が五代目柳家小さんの孫だからです。

 小さんと、その弟子の談志師匠は、途中《破門》という言葉を真ん中に据え、する側・される側、それぞれの道を行きました。でもその後、僕が談志師匠と仕事でご一緒しても、小さんはそれを許し、少しうれしそうでもありました。

 惚れ合い、認め合い

 弟子は師匠に惚(ほ)れて入門してきますが、師匠が弟子に惚れるということは、なかなかありません。でもこの師弟にはあったのではないかと僕は思います。

 小さんが生前よく言っていた言葉に「弟子は師匠の懐へ飛び込まなくっちゃいけない」という教えがあります。つまり遠慮してちゃダメ。教えてくれるのを待っているんじゃなくて、自分から教わりに行かなくてはいけない。小さん自身も自分の師匠(四代目小さん)の懐へ飛び込み、かわいがられたと言っていました。談志師匠も懐へ飛び込みました。むしろ飛び込み過ぎました! お互い性格も気性も違うのに、どこで気が合ったのかといえば、やはり“落語”なんです。

 2人とも、落語がめちゃくちゃ好きでした。たくさん、稽古をして常に芸のことを考えていました。その“芸”という共通点だけが2人をつないでいたのです。「だけ」と言いましたが、芸に生きる芸人にとってはそれだけで十分じゃないでしょうか。2人とも下手な芸人は嫌い。やっぱりうまい人が先輩でも後輩でも好きだったと思います。

 三回忌、追善の一席

 師匠から見て、うまい弟子はうれしいです。それだけで師匠孝行です。そんな2人があの世で見守る中、先月(11月)「談志まつり三回忌特別公演」が有楽町・よみうりホールで3日間行われました。私は2日目「家元の話をしよう!」に出演しました。他に立川談笑、柳亭市馬、松元ヒロ、そして笑福亭鶴瓶師匠に毒蝮三太夫さんと談志師匠の娘・松岡ゆみこさんらが出演し会場1200人のお客さんが目の前の芸と生前の談志師匠に思いをはせました。

 市馬兄さん「黄金餅」、花緑(わたし)「二階ぞめき」。どちらも談志十八番をやらせていただきました。楽屋で聞いててくれた立川談春兄さんが「2人とも良くできるなぁ…弟子は逆に怖くてできない。だって俺が小さん追悼で『笠碁(かさご)』をやるようなもんだろ? いや~すごい! いい追善になった」。僕はその感想がとてもうれしかった。

 並んだ師弟のボトル

 そしてその日はもうひとつうれしいことがあった。それが、この写真です。打ち上げで銀座のとあるBARへ。

 生前、2人が好きでよく通ったお店。その店のカウンターに小さんのボトルと、談志師匠のボトルが並べて置いてある。しかも談志師匠は自身で書いた戒名付き! 「たてかわうんこくさいいえもとかってこじ」。遺影で使った写真と共に飾ってありました。

 何だかあの世で2人が落語の噺をあーでもない、こーでもないと無制限に語り合ってるような、あの世で二人会でも開催しているような、そんな夢想をしました。今、あの世で落語会を開けば間違いなく大入り満員でしょう! 名人ばかりがあっちにいるんですから。

 このボトルを並べてくれたのが、この店で長いこと働いている立川キウイくんです。ニャっと笑みを浮かべながら2本を並べて、お酒を淡々と作っておりました。久しぶりに会った談志門下のキウイくんでしたが、思いは同じなんだと思うと、とってもうれしかったなぁ。(落語家 柳家花緑/SANKEI EXPRESS

 ■やなぎや・かろく 1971年、東京都出身。87年、中学卒業後、祖父、五代目柳家小さんへ入門する。前座名は九太郎。89年に二つ目昇進、小緑と改名。94年、戦後最年少の22歳で真打昇進、柳家花緑と改名する。古典落語はもとより、劇作家などによる新作落語や話題のニュースを洋服と椅子という現代スタイルで口演する「同時代落語」にも取り組む。ナビゲーターや俳優としても幅広く活躍する。

 【ガイド】

 12月21日午後2時開演。第135回「朝日名人会」。有楽町朝日ホール

(電)03・3284・0131

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