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「発祥の地」でかば焼きをかき込む やなせたかしさんも愛した浦和のウナギ

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「発祥の地」でかば焼きをかき込む やなせたかしさんも愛した浦和のウナギ

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 【食を楽しむ】

 JR浦和駅(さいたま市浦和区)を降りると、愛らしくほほえむ石像が出迎えてくれる。ウナギをモチーフにしたキャラクター「浦和うなこちゃん」。生みの親は今月、94歳で死去した漫画家、やなせたかしさんだ。江戸時代には中山道の宿場町として栄えた浦和は「うなぎの街」として知られる。ウナギ料理は古くから地元の食文化として親しまれ、「かば焼き発祥の地」とする伝承もある。

 美しい艶に、食欲をそそる香りが広がる。ウナギのかば焼きを食べる「土用丑の日」の伝統は全国に根付き、愛好家は海外にまで広がる。

 埼玉は海に面していない「海なし県」だ。だが、浦和周辺は荒川や別所沼など河川や沼、湿地帯があり、ウナギをはじめ、ナマズやドジョウなどが豊富にとれ、古くから川魚の料理店が軒を並べていた。

 江戸時代の早い時期、ウナギのかば焼きが地元・浦和の神社に奉納されたとする伝承もある。つまり「日本初のうなぎのかば焼き」だ。交通網が拡充し、食文化も花開いた江戸時代。浦和のウナギは旅人を通して評判が広がり、参勤交代の大名に届けられたという記録も残る。

 店ごとの「歴史」

 100年を超える老舗も多い浦和のウナギ料理店。1886(明治19)年創業の「萬店(まんだな)」もそうした店の一つだ。

 「かば焼きのうまさを実感するなら、できたてを味わうのが一番です」。4代目、金子剛さん(62)は、こう解説する。割いたウナギを串に刺し白焼きして、蒸して脂を抜く。秘伝のタレをつけながら焼き上げたかば焼きをご飯に乗せる。浦和のかば焼きはいわゆる関東式だ。

 《くし打ち3年、割き8年、焼き一生》。こんな言い回しで表されるほどかば焼きの調理は奥が深く、経験と技術が物を言う。タレは長年のつぎ足しで風味と味わいを増し、それぞれの店でしか味わえないオリジナルを形作っていく。一大事にはタレつぼを持って逃げろといわれるほど大切なものだ。

 「店ごとに味とこだわりが違う。歴史の積み重ねもウナギ料理の魅力」(金子さん)。褐色に光り輝くかば焼きを白米とかき込むと、えも言われぬうまさが口一杯に広がった。

 守り育てる地元文化

 浦和のウナギ料理店でも、近年の仕入れ値高騰や品不足の苦悩は根深い。浦和では毎年「うなぎまつり」を開催するなど、ウナギを地元の食文化としてPRする取り組みを続けてきた。まつりは「浦和のうなぎを育てる会」に加盟する地元の店がかば焼きを実演するなど、多くの客でにぎわってきた。

 まつりのステージでいつも愛嬌を振りまく「浦和うなこちゃん」。生みの親、やなせさんも毎年のように訪れ、子供らとの交流を楽しんだという。うなこちゃん誕生は、老舗「中村家」店主で、育てる会の大森好晴さんの依頼がきっかけ。やなせさんは2005年、うなこちゃんをデザインし、歌も作詞した。その後、うなこちゃんはさいたま観光大使に任命され、駅前には石像もできた。

 「浦和のウナギにとって恩人のような人だった」。地元の食文化を親身に、力強く応援してくれたやなせさん。人々の熱意と愛情を原動力に、ウナギ料理は新たな歴史を育んでいくのかもしれない。(中村昌史、写真も/SANKEI EXPRESS

 ■浦和のウナギ さいたま市浦和区には、江戸、明治時代からの伝統が続く老舗ウナギ料理店も多い。さいたま観光国際協会や、さいたま市の伝統産業を紹介するホームページなどで店が紹介されている。「浦和うなぎまつり」は例年、5月に開催。今年も遠方からの観光客や家族連れなど約4万5000人の人出でにぎわった。

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