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両陛下 初の水俣ご訪問 優しいお言葉「真実に生きる社会を」

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両陛下 初の水俣ご訪問 優しいお言葉「真実に生きる社会を」

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 全国豊かな海づくり大会の式典出席のため、熊本県を訪問中の天皇、皇后両陛下は10月27日、水俣病発生の地、水俣市を初めて訪ねられた。

 両陛下は熊本市で行われた式典にご臨席のあと、午後から水俣市に入られ、水銀を含むヘドロを埋め立てて整備した公園「エコパーク水俣」へ。水俣湾に面した慰霊の碑の前にお立ちになると、白菊の花束を献花台に手向けられ、深く一礼された。

 その後、両陛下は市立水俣病資料館で、認定患者で、水俣病による被害を語り部として伝えている水俣病資料館語り部の会会長の緒方正実さん(55)から話を聞かれた。

 「差別や偏見を恐れて38年間、症状を隠し続け、その後10年かけてようやく患者と認められました」

 緒方さんは、急性劇症水俣病で亡くなった祖父ら病に苦しんだ家族の話をする一方、病気に対する差別や偏見を恐れ、38歳まで病気に関わることを避けてきたことを話した。そして水俣病は戦後復興を進める中での政策の失敗だと指摘し「水俣病は決して終わっていないことを知ってください」と訴えた。

 緒方さんから話を聞かれた後、陛下は「どうもありがとうございます。本当にお気持ち、察するに余りあると思っています。やはり真実に生きるということができる社会をみんなで作っていきたいものだと改めて思いました。本当にさまざまな思いを込めてこの年まで過ごしていらしたということに深く思いを致しています。今後の日本が、自分が正しくあることができる社会になっていく、そうなればと思っています。皆がその方向に向かって進んでいけることを願っています」と異例の長い感想を述べられた。

 ≪水俣病患者ら「生きてきた中で最高の幸せを感じた」≫

 「両陛下の訪問を励みとし、これからも活動を続けていきたい」

 10月27日、熊本県水俣市を初めて訪ねられた天皇、皇后両陛下と対面した水俣病患者ら。緒方さんは両陛下との懇談を終えたあと「思いは十分伝わった」と笑顔を見せた。

 資料館で患者らと対面された両陛下は、病気の影響でうまく話せない患者も含め、一人一人と言葉を交わして回られた。両陛下の言葉に、涙を流す患者の姿もみられた。

 「水俣病は現在もいろいろな問題を残している」。両陛下の訪問が水俣病問題の幕引きとなることを懸念する患者もおり、緒方さんは彼らの思いを背負って懇談に臨んだという。水俣病の公式確認から60年近く経過した今も、患者や家族の苦しみは続いている、と訴える。

 熱心に耳を傾けられた両陛下に「包み込むような優しさを感じた。思いは十分伝わったと思う」。両陛下からは「苦しみの中でも強くたくましく生きている姿に感銘を受けました」と声を掛けられた。

 緒方さんは「生きてきた中で最高の幸せを感じた。これからも世界に水俣の教訓を伝えていきたい」と力を込めた。

 両陛下は今回の水俣訪問で、多くの患者の思いを受け止められた。資料館では、患者の前田恵美子さん(59)が病気への思いをつづり作詞した歌が披露された。

 前田さんは「天皇陛下に『良い歌ですね』と言ってもらいました。この先もいろんな人に聞かせていきたい」と目を潤ませた。

 胎児性患者の永本賢二さん(54)は皇后さまに体調を問われ、逆に「皇后さまもお体を大切に」と言いながら両手でガッツポーズをしたところ、同じポーズを返していただいたと感激。「胎児性患者のこともよく知ってくださっていた。患者の仲間に伝えたい」と話した。(SANKEI EXPRESS

 ■水俣病 1956年に公式確認された公害病。熊本県水俣市のチッソ水俣工場からの工業排水に含まれていたメチル水銀が八代海(不知火海)に流出し、水銀で汚染された魚介類を食べた住民らが手足の感覚障害や視野狭窄などを発症した。新潟県鹿瀬町(現阿賀町)の昭和電工鹿瀬工場の排水を原因とした新潟水俣病もある。公害健康被害補償法に基づく患者の認定が行われてきたが、全面的な解決には至らず、新たな救済策として2009年に施行された特別措置法には新潟、熊本、鹿児島の3県で計約6万5000人が申請した。

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