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安楽死提案されていたホーキング博士 元妻が拒否…絶望から復活した秘話

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安楽死提案されていたホーキング博士 元妻が拒否…絶望から復活した秘話

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 「車いすの天才科学者」として知られる英ケンブリッジ大の宇宙物理学者、スティーブン・ホーキング博士(71)が1985年、肺炎の急激な悪化のため医師に安楽死を勧められていたことが7月28日、明らかになった。当時の妻ジェーンさんがそれを拒否し、緊急手術で回復したが、博士は安楽死提案後の数週間を「人生で最も暗い日々」と振り返るなど、絶望から今日の復活に至るまでの2人の赤裸々な秘話に注目が集まっている。

 映画で秘話

 一連のいきさつは、全世界約1000万部という大ベストセラーになった博士の著書「ホーキング、宇宙を語る」(88年)の回顧録として英で9月公開予定のドキュメンタリー映画「ホーキング」の中で博士が語ったもので、英紙サンデー・タイムズが内容をスクープ。これを引用する形で英紙デーリー・メールやガーディアン(いずれも電子版)などが報じた。

 博士は21歳の時、1人目の妻ジェーンさん(現ジェーン・ワイルドさん)とケンブリッジ大で知り合い、約2年後の65年、結婚に至った。

 博士は既に、体を動かす神経が徐々に侵され、全身の筋肉が動かなくなる難病「筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう、ALS)」と診断されていたが、「彼のとても愉快な笑顔と、美しいグレーの瞳に惹(ひ)かれました。それにとても楽しい人だったから、2人で病気も医者も無視するつもりでした」(ジェーンさん)。

 しかし、博士との日々は苦痛も伴った。「彼は難病を克服し、世界を旅する神童でしたが、その難病で私たち家族はブラックホールに落とされたという一面もありました」

 85年、博士は滞在先のスイス・ジュネーブで重篤な肺炎を患った。博士は「大変危険な状況だった。医師は私の命が長くないと判断し、生命維持装置を外して安楽死させる選択肢を妻に提案した」と明かし、「それから数週間は、私の人生で最も暗い日々だった」と振り返った。

 しかし、ジェーンさんは医師の提案を拒否。博士は気管を切開する緊急手術を受けた。「手術は私から会話能力を奪ったが、薬が徐々に効いてきた」(博士)ことで回復に向かった。手術を受けた当時の心境について、博士は「その頃、私はちょうど『ホーキング、宇宙を語る』を執筆中で、それを書き上げたかったんだ」と語っている。

 ところが、ジェーンさんは、この著書が大ベストセラーを記録したため「私たち夫婦は富と名声の波に流されてしまった。得たものが多過ぎて、私たちは以前のように幸せではなくなった」と後悔するようになった。結局、約25年間続いたジェーンさんとの夫婦生活は破綻し、2人は91年に離婚した。

 恋多き男

 95年、博士は担当看護師だったエレイン・メイソンさんと「情熱的で激しい」恋愛の末に再婚したが、2006年に「彼女からの身体的虐待」を理由に離婚した。映画のなかで博士はジェーンさんへの友情が再燃していると明かすなど“恋多き男”という横顔もみせている。

 博士は現在も研究や執筆活動を継続。6月にはイスラエルの対パレスチナ政策への抗議として国際会議を欠席したり、英ヴァージン・グループが開発している民間宇宙船への搭乗を申し込むなど活動は幅広い。

 「死を恐れてはいない。私は71歳だが毎日、働いている。1分1分を全力で生きたいと望んでいるんだ」。生きることへの強い意志こそが、博士の才気を支える原動力に違いない。(SANKEI EXPRESS

 ■Stephen William Hawking 1942年1月、英オックスフォード生まれ。ブラックホールから粒子が逃げ出す「ホーキング放射」やブラックホールの蒸発といった研究で、アルバート・アインシュタイン(1879~1955年)以降、世界で最も有名な宇宙物理学者となった。2度の結婚で3人の子供をもうけた。

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