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被災地ボランティア学生座談会(上) 自分たちの居場所に「帰る」

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被災地ボランティア学生座談会(上) 自分たちの居場所に「帰る」

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「被災地に行く?帰る?」をテーマに開かれた学生ボランティアらによる座談会=2013(平成25)年6月27日、東京都港区赤坂の日本財団(日本財団撮影)  【Campus新聞】

 東日本大震災から2年以上がたったが、復興の歩みは遅々としている。震災の記憶の風化も懸念されるなか、今もボランティアとして被災地に通い続ける学生たちがいる。彼らの活動をまとめた『ボランティア奮闘記 若い力が未来を変える』(日本財団広報グループ編、木楽舎)の発刊を記念し、2013(平成25)年6月27日に学生による座談会が開かれた。テーマは「被災地に行く?帰る?」。フェリス女学院大学の田中葵さん(21)が、リポートする。

 □今週のリポーター フェリス女学院大学 田中葵さん

 ≪自分たちの居場所に「帰る」≫

 座談会は、日本財団(東京・赤坂)1階バウルームで6月27日に開かれた。登壇したのは、昨年1年間大学を休学して気仙沼市唐桑町に長期滞在をしていた立教大学の根岸えまさん(21)、現在大学を休学し宮城県石巻市に滞在して子供のための支援活動を行っている早稲田大学の勝山陽介さん(21)、そして、仲間と学生団体を立ち上げて気仙沼市唐桑町で昨年、2回のコンサートを開いた私(田中葵)の3人。

 「被災地に行く?帰る?」は、ボランティア活動で訪れた被災地を再訪するとき、「○○に帰る」という言葉を使う人が多いことからテーマとして取り上げることになった。

 現場で感じる

 「『おかえり』と言ってくれる人ができたから、『ただいま』と言うようになった。定期的に足を運ぶうちに、徐々に被災地や被災者として見ることがなくなっていった。あの人に会いたい、という思いに変わっていった」。私は「帰る」という言葉を使う理由について、こう話した。

 被災地という場所が、学生にとって自分たちの居場所になっているのだ。

 これに対し、勝山さんは「僕にとって石巻に『帰る』という感覚はまだない。石巻で滞在を始めて、まだ20日間足らず。地元の人とのつながりも少ない。これから自分の中で、石巻に帰るという意識に変わっていくのが楽しみ」と言って、目を輝かせた。

 1年間、気仙沼に滞在していた根岸さんは「漁師さんたちや直売所のおばあちゃん、仮設住宅の方々、たくさんの人に出会い、話す言葉ひとつひとつにひかれた。家族のように温かい場所ができて、『早く帰ってこい!』と言ってくれる人が増えた。滞在し始めた頃には考えられなかった」と、振り返った。

 また、地元の漁師さんとの交流を通じ、第一次産業の衰退を肌で感じたという。「実際に第一次産業に従事する人の話を聞き、生活に触れることで、今まで教科書の中でしか知らなかった問題を、初めて身近に感じることができた。東京での大学生活には、社会と関わっているという実感がなかった」と、根岸さんは言う。

 「東北にすら一度も行ったことのない学生も参加して、コンサートを開くのは簡単なことではなかった。でも、実際に被災地に行って、自分たちができることをするのは、いわばフィールドワークのようなもので、社会との接点が生まれた」と、私も話した。

 勝山さんは「実際に現地に行って、何キロも流された大型船や、更地になった家の跡を目の当たりにすると、長期滞在しなければできないことがあると感じた。東京にいると、自分の中でも風化してしまいかけていた」と話し、現場で感じることの大切さを訴える。

 よそ者を増やす

 震災当時は高校生で、1年後、2年後に大学に入学してきた学生にとって、被災地でのボランティア活動は敷居が高くなっているのも事実だろう。

 「私がボランティアで初めて被災地に行ったのは震災から2カ月後。がれき撤去からボランティアに参加していた学生だからこそできることがあると思っている。一度も被災地に行ったことのない学生を巻き込み、伝え続けることをやめたくない」。私は思いをつないでいくことの大切さを訴えた。

 1年間の休学を終え、今は東京で復興支援の学生団体の代表をしている根岸さん。「東京の学生の考えや認識と、実際に現地にいる人の考えにはギャップもある。でも、よそ者である学生が現地に入ることで、新しいものが生まれることもある。よそ者を増やし、現地の人を巻き込む活動を続けていきたい」と、力を込めた。(今週のリポーター:フェリス女学院大学 田中葵/SANKEI EXPRESS

 

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