ラーメンとニッポン経済

1971-「なぜか無性に食べたくなる」 京都発!ドロドロ濃厚『天下一品』は裸一貫、脱サララーメン

佐々木正孝
佐々木正孝

 飢餓から飽食へ--焼け跡、闇市から湯気を上げ始めたラーメンも、大衆の「胃袋を満たす」役割を終え、「肥えた舌に訴求する」フェーズに突入しつつあった。連載第6回で紹介した「ラーメン二郎」は豚濃厚スープを東京で旗揚げしたが、京都の木村は鶏の濃厚な味をベースに「天下一品こってりスープ」を高らかに掲げたのである。

■千年の都にして日本一の学生タウンは「こってりスープの寸胴」だ

 上品に言えばポタージュ、有り体に言えばゲル……前述のように『天下一品』のラーメンを説くと、「京都」と「こってり濃厚ラーメン」の掛け合わせに首をひねる人もいる。「京料理」といえば、京野菜の色彩、うま味を生かした雅な仕上がり。さらに若狭湾から運ばれる魚介料理、寺院の影響を受けた精進料理といったイメージが根強い。

 確かに、1970年代~90年代には「京風ラーメン」が各地のデパートや集合施設で花開いた。さらりと淡いスープに京菜や湯葉などを乗せ、甘味などといただくスタイルで、『京都あかさたな』『京らーめん 糸ぐるま』などのチェーンが台頭。首都圏をはじめ全国にチェーンを展開し、女性客を中心に一定の支持を得たこともある。

 しかし、ローカルの京都ラーメンは『天下一品』系以外にも、豚ベーススープに濃い口醤油スープの『新福菜館』系、鶏ガラベースの醤油味に豚背脂をふりかけた『ますたに』系など、大きく3系統に分類される。いずれもパンチがあり、“京風”ラーメンとは似ても似つかぬ面持ち。京都ラーメンは決して淡口、薄口ではないのだ。

 そもそも、彼の地は平安京、長岡京以来1000年にわたって政治文化の中心であり、各地の食物が密に流入した千年級のセンタースポット。京料理を慎重に腑分けすると、総合プロダクトとしての出自が浮かび上がる。たとえば、京料理のシンボルとも言える「おばんざい」。各地の多彩な食材を組み合わせ、おだしを基盤にして手間ひまかけて作る緻密な料理。だしの基になる昆布は、北前船によって北海道から運ばれ、若狭港経由で到来したものだ。

 「いもぼう」は長崎からやってきた海老芋と、北海道産の棒ダラを炊き合わせた京料理。おなじみ「にしんそば」も、昆布出汁と身欠きニシンという北方食材のマッチングである。乾物や保存食材を基本に、全国の食材をふんだんに用いて一皿に昇華させる。そんなコンセプトは、現代ラーメンにも通底するものだ。京料理のベースとラーメンには意外にも親和性があるのである。

 日本きっての学生街も濃厚ラーメンのインキュベーターだ。京都市域の人口の10人に1人(約15万人)が大学生で、人口に占める学生の割合はダントツの1位だ。『天下一品』が本店を構えた一乗寺も 京都大学、京都精華大学、京都造形大学といったキャンパスがズラリ。食べ盛りの大学生が濃厚スープを強烈にプッシュし、その後の京都濃厚ラーメンの系譜が紡がれていったのは間違いないだろう。

■職人・板前が先導したギルド社会の終焉に人情肌フランチャイズとして台頭

 話を1970年代初頭に戻し、木村勉が「ラーメン店での修業なし」で起業に踏み切った背景も考察してみよう。彼は一般的な製法を屋台仲間の中国人に教わるが、「そこらへんにある醤油ラーメンとほとんど変わらなかった。これではアカン」と、独学で研鑽を積み、イノベーションを目指していく。

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