少し話が逸脱したが、娘の会話力が向上したことで、それまで私が理解することに苦労した事柄、例えば娘が「なぜ嫌がるのか」「なぜいたずらをするのか」「何がきっかけで機嫌を損ねたのか」といった難解な感情も、子供が自ら理由を説明できるようになったことで「だから嫌だったのか」などと合点がいくようになった。
子供との接し方で失敗の連続
生活に変化が起きれば、自然とあらゆる困難やトラブルも発生しやすくなる。そして、それらをいかに乗り越えるかが家族にとって非常に大切になってくる。
娘の会話力の向上とともに自我が芽生えてくると、「今は○○が食べたい」「この服は着たくない」と明確な意思表示や主張をするようになった。 意思の疎通が図れるようになったとはいえ、相手は話し合いや理屈が通じない2歳児。「動物園に遊びに行くから服を着なさい」、「イヤだ。オムツだけでいいもん!」といった蒟蒻(こんにゃく)問答が日常茶飯事となり、ときにストレスとなった。
こんな時は、私よりも子供を上手にあやすことのできる妻から学ぶことが多くあった。妻が「ゾウさんのお洋服を着て行ったら、動物園の象さんたちが喜ぶかもよ?」と語りかけるだけで、「ゾウさんのお洋服、見せに行く!」と目を輝かせ、あっという間に“交渉成立”となる。お風呂に入りたがらない時も、「アヒルさん(のおもちゃ)がお風呂で待ってるよ? 寂しいって泣いちゃうよ?」「じゃあ入るね。だって入らないとアヒルさんが泣いちゃうもん」といった具合で、それまでの私と娘の押し問答がウソのよう。「子供をその気にさせるのが上手いなあ」と何度も舌を巻いたものだ。一筋縄でいかないと半ば強引に解決しようとして、とめどない悪循環に陥る私とは大違いだ。