JAL(日本航空)が100%出資する中長距離LCC『ZIPAIR』が航空運送事業許可を取得し、2020年5月に成田=バンコク線を、7月に成田=ソウル線を就航する運びとなりました。
かつての羽田空港国際線ターミナルは、現代のどの地方空港と比べても見劣りするほどこじんまりとしていた記憶があります。しかし、日本からの国際線輸送旅客数は1977年(昭和52年)の3826千人から、40年後の2017年(平成29年)には22387千人と6倍近くにも増加(国土交通省「航空輸送統計年報」)。ビジネスや観光問わず、海外への飛行機旅行が空港でのお見送り必須の一大イベントだった時代があったのだと言われても、今や誰もピンとこないことでしょう。
自国文化とラグジュアリーを体現してきたレガシーキャリア
そんな、国際線大衆化の時代にありながら、あまり変化しないことは、国際線を担う航空会社が、JALとANA(全日本空輸)の基本2社体制であることと、その日本式「おもてなし」かもしれません。かつてエリートのみの特別な乗り物だった海外航路の名残も色濃く、「かしずく」ようなとまで言われる圧倒的なホスピタリティーは世界でも珍しがられるレベルのものです。実際に、初期の国際線ではミス日本レベルのキャビンアテンダント(当時はスチュワーデスと呼んでいたはず)が和服を着てサービスを担当する飛び切りレベルのものであったとのことです。そのスチュワーデスさんからして、空港までの送迎はハイヤー、宿泊先も一流レベルときていたわけですから、その別格感がうかがい知れます。
それは何も日本に限ったことではありません。いみじくもナショナルフラッグキャリアつまり国旗を“背負う”エアラインを国有もしくは国家の威信を代表するかたちで維持されてきた歴史は、まさに航空産業の歴史そのものです。現在歴史ある航空会社がレガシーキャリアと言われるゆえんでもあります。
ホスピタリティの面でも、その国の文化とラグジュアリーさをいかんなく発揮してきました。例えば自他ともに認める世界のリーディングエアライン、シンガポール航空のキャビンアテンダントが着る有名なユニフォーム「サロンケバヤ」は、ペラナカンの伝統工芸に着想を得てフランスの名デザイナー、ピエール・バルマン氏がデザインしたもので、まさにクーチュリエが表現するラグジュアリーと、民族性が表現されているわけです。
もちろんJAL、ANAも、森英恵氏らパリコレ等でも活躍するそれぞれの時代でのトップデザイナーが制服を通じて日本の文化を世界に発信してきました。