「もっと遅い自動車を」という提案 高齢者の免許を取り上げるだけで事故は減らせるのか
配信元:PRESIDENT Online 更新こうした状況について考えるとき、運転免許の返納を促したりして「高齢者に車を運転させないようにする」という方針だけで果たしてよいものだろうか、と僕は思うのです。
これまで自動車という存在は、「健康で元気な人が運転するもの」ということが暗黙の前提でした。そしてそのまま進化していった結果、今では「身体能力や認知機能に関係なく、誰もが1tもの重量の物体を時速100kmで動かさなければいけない」という思い込みに凝り固まってしまった。であるならば、今こそそういった近代の車社会の前提そのものを問い直すべき良いチャンスであるとも思うのです。
20世紀の「人と都市」の関係を見つめ直す
現在の自動車市場は、ハイブリッドカー、コンパクトカー、ミニバン、SUV、軽自動車といったはっきりしたカテゴリーのなかで、モデルチェンジを繰り返して性能を上げていくことが主流になっています。これはユーザーにとっては用途に応じた自動車を選びやすいというポジティブな変化でもあるのですが、結果としてカテゴリーとカテゴリーの間にあるニーズを柔軟に汲みあげることが難しくなってしまっている側面もあるのではないかと僕は思っています。
未来の大衆車を考えるときは、今あるカテゴリーの延長ではなく、ゼロから考え直す必要がある。そのときに僕が大切だと思うのは、人と都市、都市と自動車の関係を、改めて問い直すことです。
20世紀はモータリゼーションが推し進められ、誰もが自動車に乗って移動することを前提に街が作られていった時代でした。みなさんの住んでいる街は、おそらくほとんどの道がアスファルトで舗装されているのではないかと思います。当たり前すぎて意識しにくくなっていますが、「人間の歩きやすさ」ではなく「車の走りやすさ」が優先されているのです。
そして街の設計も、電車や高速道路、幹線道路などの「大動脈」から考えていくのが一般的で、それゆえに車は狭い道路であっても歩行者に気を遣わずに我が物顔で通っていくのが現状です。僕は自動車を、もっと「分相応」な存在として再定義する必要があるのではないかと思っています(この「分相応」という言葉は僕の尊敬する先輩が授けてくれた言葉です)。
車中心社会を問い直そうというのは都市政策でも大きな流れになっていて、近年は「コンパクトシティ」という概念が注目されるようになりました。これはショッピングができる場所や、病院・学校などの公共機関をなるべく徒歩圏内に収めようという考え方で、自動車中心の街を、人間中心の街にしていこうという思想です。実際にコンパクトシティを目指すことを標榜している自治体もいくつもあり、一般的な考え方になりつつあるといえます。