京大発ベンチャーが“幻のスポーツカー”復活 大手蹴ったエンジニア集団「トヨタに負けてない」
配信元:PRESIDENT Online 更新この会社がさらに成長し、外資系メーカーなどのセールスマーケティングを請け負う人材を派遣するようになった。最盛期にはマネジメントスタッフ40人、売上20億円になっていた。
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会社が成長すると共に、取引先の担当者も出世し、彼らとの会話を通じて自分がビジネスや経営の知識が不足していることを痛感した。そこで、2009年、京都大学大学院経営管理教育部(MBA)に入学した。このことが小間の運命を変えた。
そこで、松重和美教授(京都大学名誉教授)と出会った。松重教授は1996年に発足した「京都電気自動車プロジェクト」を主導しており、興味を感じた小間は参加した。
「活動するうちに京都には部品メーカーも多く、EVをベンチャーが作るチャンスではないかと考え始めました」
プロジェクトは一通りの成果を出し、収束に向かっていたが、このまま終わらせたくないという松重教授の思いもあり、小間はビジネス化に動いた。松重教授も起業と経営の経験のある小間に期待した。
面白いことをどこまでやり続けられるか
当時、小間は小型EVに将来性があると見込み、韓国のEVベンチャーを視察したが、その企業が経営破綻。小型EVでは試乗しても乗る喜びがないし、ベンチャーでは無理かと半分あきらめかけた。そんな中で、アメリカに旅行し、テスラモーターズに立ち寄ると、同社のロードスターに試乗した。
「それがめちゃくちゃ楽しかったんです。ベンチャーとしてこれを作り上げたのはすごいと感動しました」