だが、62年の中印国境紛争で両国関係が悪化。華人への迫害や嫌がらせが始まり、数千人が西部ラジャスタン州の施設に送られたり、職を失ったりした。高学歴で財力のある華人はカナダや英国などに移住。人脈も資金もない華人だけが残った。
工場や商店はインド人に売却され、約80年の歴史があった学校「培梅中学」も2010年、生徒不足で閉校。現在の華人は3000人前後という。中華料理店もインド人向けの辛い味付けに変化、漢字の看板だけが往時の繁栄をしのばせる。
熱帯の雨の下、古い建物で日刊紙「中印商報」が編集されていた。ネットで入手した中国語ニュースを1部4ページ、約200部を印刷し、月70ルピーで配る。中華街の冠婚葬祭も報じる。「若い華人はもう中国語が読めず部数は減るだけだ」と、編集する張国才さん。
地元コルカタ当局とシンガポールの団体などは14年、約10億ルピーかけて中華街を再開発し、食の街として観光客を集める「チャ(茶)プロジェクト」を提唱した。だが、華人団体の印華文化発展協会の鐘河芳会長は、2年が経過しても「当局も含め誰も資金を出さず、事業開始は無理だ」と指摘した。(コルカタ 共同)